« 生きる時間2 | トップページ | 善人と悪人 »

何を掬うのか

 詩とは思い、生き方、言葉を掬う行為である。 

      *      *      *

 生真面目なだけが取り柄の貧しい役人が外套の裡に暖め続けていた思い。

 人生の細部を、その温度を、長い間描き続けたマドレーヌの香り。

 あなたは私なのと、ヒースの丘に焦がれ続けた魂。

 今ここの永遠を見つめ続けた他者である私。

 人間ではなく、言葉の側を救おうとしていた優しい睥睨。

 年長の哲学者をどこまでも愛した修道女。

 おちびのテレーズに会うことを夢見ていた酔払い。

 サイモンを沖へ流した輝く生き物たち。

 歌うことで人に愛を与え続けた雀。

 かけがえのない純粋な女芸人を見捨ててしまった大男の哀切。

 目指す場所にいつまでもたどり着けない夢を生きた測量技師。

 理想郷の音楽家の生涯をなぞった意思。

 それらのすべてが、思いの深さ、繊細さ、あたたかさという点で共通している。

 詩は、そのような意思たちを掬おうとしている。

 だから、詩を読む時には、「何を掬うのか」と、詩に問いかけてみれば良い。すると読みの中から、答えは出てくる。

 詩はみな、その答えを表白しているのだから。

 意想外の、多くの人に見向きもされない、しかし大切なあるものを、それは指し示している。

 詩が掬おうとしているものを掬うこと、それが読みであり、また創造である。

005

(また生まれて来たよ) 

 

« 生きる時間2 | トップページ | 善人と悪人 »

思考」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/391404/38815695

この記事へのトラックバック一覧です: 何を掬うのか:

« 生きる時間2 | トップページ | 善人と悪人 »