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善人と悪人

 善人ではなく、悪人こそが救われる、という思想があるらしい。

 そうだろうと、思う。

 救われているから、善人なのだろう。

 他方で、良いことをすると天国に行ける、悪いことをすると地獄へ行く、という発想はおかしい。

 地獄に行きたくないから良いことをするというのはあざとい、というより計算する生き方というのは、おそらく生ではないと、私は感じる。

 生とは、そうしたいから、そうせざるを得ないからそうする、存在の在り方のことだ。その結果がどうなるかを想定するとは、一体何をしていることになるのか?

 ブログを初めて4年近くになるが、ネット上で他者を批判する文章を見かけることがある。そういう感性も理解しがたい。

 その人のためを思うのなら、見守ればよい。その人にはその人にしか感じえない事象があり、それは他者には絶対に理解できないもので、他者なるものは、せいぜい寄り添い、あなたはあなたでいいのだと、共感することしかできない。

 自分のために他者を批判するのであれば、先述の計算と同じで、論外である。自己肯定が先にあるのは生ではない(とても不自由だ)。

 人はどうしようもなく愚かなときもある。悲嘆にくれる。後悔後を絶たず…。そういう人は救われているのか? その人が感じる苦しみは、確かにどうしようもなく酷い。でもそのように感じることが、一つの癒しである、回復の過程である。

 悪人こそが救われる。自分を悪人と感じ、悲嘆することが救いの一つであるなら、自分を救っているのは、自分なのかもしれない。

 喜びを分かち合うときと同じように、そのような人の苦しみも、傍にいて,、あるいは遠くから見守っていたいと思う。

 そのように見守ることが、私を癒すことになるとしても。

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 (分かち合う喜びをありがとう)

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