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2011年1月

夢を生きる

この世界が一瞬のうちに

すっかり無くなったとしても 私はなお

夢を生きつづけているだろう

 

夢とはいつもここに生まれてくるもの

古生代の化石に浮ぶ温かな喜びのようなもの

共感の分かち合いに溢れる笑顔

おばあちゃんの背中の丸み

走りまわって転ぶ子の口についたチョコレート

震える芦の見る空の色

カプセルの中の蜂

 

みな夢を生きている

過去に見た夢を

まだ見ぬ世界の夢を

それらは 繰り返し見ているうちに

少しずつ あるいはいつの間にか 現実になる

 

一歩踏み出して 新しい光を浴びて

風を受けて 世界を感じてみると

ああ そこここに夢は溢れている

 

なりたい心が 挫折の小さな渦を巻き その曲線にまた夢が生まれている

暗い心にも 明るい心にも ひとしく宿り

目覚めたらおはようを言い

眠る前にはおやすみを言い

離れることなく寄りそっている

 

落葉は新緑を夢見 うたかたは永遠を夢見る

ここにないものは あるものの夢

 

この世界が一瞬のうちに無くなったとしても

すべてはなお 夢を生きているだろう

003

(こんにちは)

詩集「ほほえみ」出版記念会

 一つの詩集が産声を上げた。

 大野さん(作者)に似て優しい子だね、良い顔をしてるねと、みんなに喜ばれている。

 ていねいな情景描写、森羅万象に寄せるまなざしのあたたかさ、読者のさまざまな記憶を想起させるある力、徒に流行を追うことのない足どりのたしかさ、わかりやすくやさしい言葉遣い…。

 ようするに、言葉を紡ぐことの尊さが、語られた。

 詩を書くとは、言葉を大切にすること。

 言葉を大切にするとは、生命を大切にすること。

 ある瞬間の心の情景を、感じとったままに、再現してみること。

 消え去ろうとする物たちを再び生かすこと。

 響きあうこと。

 可能性に通じる道を切り拓くこと。

 過去や未来を変えること。

022

(鮮明な記憶を生きて)

 

 

1986年のマリリン

 口づけの後は~溜息が出ちゃう~♪

 会社のプチ・イベントで歌ってみた。

 試みに。という軽いノリで。

 でも、結構ウケル なぜか。

 最初歌った時の皆さんの反応が良かったので、次にも歌い、この時も聴き手のノリが良かったので、今回が3回目。リクエストもあったので、フリも付けて。公務員のHさんも作業着姿で腰を振って踊ってくれた。

 「虹色のバイヨン」(氷川きよし)も用意していたのだけれど、こちらは歌わず仕舞い。

 「ノクターン」(平原綾香)、「朝花」(石川さゆり)、「あなたのとりこ」(シルヴィ・バルタン)なんかも歌うのだけれど…。

 この歌、なぜか、インパクトがあるらしい。

 前奏のテンポ、本田美奈子さんの歌とフリの良さがあるから?

      *      *      *

 ところで、時々 YouTube で聴くのだが、美奈子さんが歌う演歌、ミュージカル、オペラがとても良い。

 全身全霊で生きて、歌っているから。切ないほどに心がこもっているから。本当に、聴き入ってしまう。未完なのだけれど…。

 今ここに在り、今ここを超えて、どこまでも、いつでも。これは願いではなく、現にそうである、心の在り方のことである。

http://www.youtube.com/watch?v=aYrQrkc_SJo&feature=related

018

(みんな光ってる)

 

 

Schafe konnen sicher weiden 羊は安心して草を食む

 J.S.Bach カンタータ BWV 208より

  "Schafe konnen sicher weiden"

 羊は安心して草を食む

 とても美しい曲で、聴いていると心が和んでくる。クリスマスソング、ウェディングソングでもあるらしい。合唱曲であり、ピアノ曲でもある。

 初めにレオン・フライシャーの演奏を聴いた。しっとりと落ち着いていて、いい感じ、とても気持ちが良かった。次にグレッグ・アンダーソンの演奏を聴いた。ゆったりとおおらか、私が平和な世界の中にいる感じがした。

 音楽は、演奏次第でどのようにでも聴かせられる、謂わば無限の可能性を秘めている。そして、匂いがそうであるように、ある日の情景を想起させてくれる。

 初めて聴いたときに想起されるイメージがあり、演奏者においては、それが豊であればあるほど、聴く人に多くの感動を与えることができる気がする。

 音楽でなくとも、そのようであることが、生きる喜びなのかも。

 現在楽譜を注文している(ピアノ曲用)、届いたら練習を始めようと思っている。

 http://www.youtube.com/watch?v=Xgyz0XqDEEA

  http://www.youtube.com/watch?v=8vvOv0xlLhU&feature=related

044

(うさぎかな?)

僕と妻の1778の物語

 パラレル・ワールドという発想は、こういう物語から生まれるのかもしれないと、この映画を観て思った。

 こういう物語とは、愛する人といつまでもいっしょにいたい願いから生まれるお話し。

 パラレル・ワールドとは、主人公牧村朔太郎によれば、この宇宙では、こことは別の世界が同時並行的に存在し、その世界でも、僕と妻は一緒に生きているということ。

 いつまでも、どこまでもいっしょにいたい。この世で別れることになっても、別の世界ではいっしょにい続けることができる。そういう願い。いや、朔太郎にとって、それは願いではなく、現実にそうなのだった。

 妻を笑わせるために、毎日3枚の短編小説を書いた。それは確かに「笑わせるため」だったのだけれど、同時に、今よりもっと強い絆を求めていたのかもしれない。2人が別の世界でもいつまでもいっしょに生きていられるような絆を。

 心の中でだけでなく、願いは現実となるのだから。

 だから、いっしょに読んで、いっしょに笑って、いっしょに青い空を見て、感じた。

 妻が眠り続けている間、彼もまた、夢と現の間をさまよった。いっしょにいたいから、「同じ」場所に。

 彼は恋愛小説は書けないと言ったが、1778の短編は、それ自体が恋愛小説である。不器用な表現であっても、それが彼(と妻)の心の形だから。

 そこここで、私たちは、いっしょに生きている。

 人は、数多の他者の思いによって生きている。それは目には見えないけれど、目に見える世界よりずっとたしかな絆である。その絆のために、人は生きているのかもしれない。

 思いたちの織り成す(この)世界を、パラレル・ワールドと、私は呼んでみたい。

013

(青い空からやって来た)

犬語の話し方

 スタンレー・コレン/木村博江(2002).犬語の話し方.文春文庫

 ヘルパーをしていて、時々困るのが利用者宅の犬ちゃんたちへの対応。そこで、利用者、犬ちゃんとのコミュニケーション促進のため、本書を読んでみた。犬語小辞典付き。

 筆者のスタンレー・コレン氏は、犬に詳しい、(人の)心理学者とのこと。

 読み進めるうちに、犬と会話ができたら、と思うようになった。対話の可能性が拡がり(バリエーションの増大)、心が通じ合えるかもしれないという気がしてきた。

 どのような声で吠えたら何を要求しているか。体の向き(姿勢、体勢)、尻尾の意味と向き(振り方、上下)、耳の向き、人の言葉の学び(理解度)、要するに仕草の意味を察することができたら、それに応じて指示も出せるし、いっしょに感じとり、いっしょに考えることもできるだろう。

 たとえば・・・

 「お散歩に行こう」と言うと、犬はうれしそうに尻尾を振って玄関に駆け寄る。手綱を手に取ると、つけやすいようにおとなしくする。威嚇的な犬に遭遇したら、「座ろう」と言って、相手の犬に対して横向きに座らせ、あるいは「あくび」を指示し、相手の戦闘意思をそぐ。「遊ぼう」と言うと、犬は尻上りの声で吠える。「あの赤いものをとって来て」と言い視線と身体をそちらに向けると、犬は取って来てくれる。「帰るよ」と声をかけると、走り寄って来る・・・

 犬の感じ方は人と違い、その違いを知ることで人の世界も広がるだろう。何より、意思を通じ合わせる楽しみがある。

 さあ、少しずつ「会話」を実践してみよう。

029

(あなたのお名前は?)

 

 

L'Éternité (永遠)

 Elle est retrouvée.

 Quoi? -- L'Éternité.

 C'est la mer allée

 Avec le soleil.

 

 Âme sentinelle,

 Murmurons l'aveu

 De la nuit si nulle

 Et du jour en feu.

 

 Des humains suffrages,

 Des communs élans

 Là tu te dégages

 Et voles selon.

 

 Puisque de vous seules,

 Braise de satin,

 Le Devoir s'exhale

 Sans qu'on dise : enfin.

 

 Là pas d'espérance,

 Nul orietur.

 Science avec patience,

 Le supplice est sûr.

 

 Elle set retrouvée.

 Quoi? -- L'éternitée.

 C'est la mer allée

 Avec le soleil.

                                                     Mai 1872

      *      *      *

 アルチュール・ランボーの詩  〈永遠〉

 

 見つけたよ

 何を? 永遠を

 それは太陽と

 溶けあった海

 

 見張り台の魂よ

 空虚な夜の

 焔の昼の

 告白の声を聴こう

 

 君は 世間の

 賞讃からも 熱情からも

 解き放たれて

 思いのままに飛んで行く

 

 君たちは独りでいるから

 サテンの燠火のように

 やるべきことが

 たちまち迸り出る

 

 希望はなく

 僅かな光も見えない

 学問と忍耐

 責苦こそが必定だ

 

 見つけたよ

 何を? 永遠を

 それは太陽に

 溶けあった海

      *      *      *

 太陽と海、昼と夜、熱狂と静寂、そして何かとても純粋なものが感じられる。

 彼の言うように、世間の評判などどうでも良い。思いのままに、光や闇の促しのままに進んでいったら良い。

 詩を書くには、私たちに宿る〈生命そのもの〉を描くには、苦しみが必定だ。大切な何かを大切すること、それが生きること。

 すなわち考えること。

 私たちは永遠を生きていると知ること。

 013

(元旦 キラキラ光る雪)

 

後の先(ごのせん)

 今日1月4日午前7時半前、会社の車のエンジンをかけるとFMラジオから声が流れて来た。

 後の先云々。何でも連勝が話題となっていた横綱白鵬が、かつての大横綱双葉山の言葉を学んだのらしい。

 話は聴き始めて5分足らずで終わってしまったので、十分には理解し得なかったのだが、何かしら良い話だった。

 後手であることで、先んじている。相手の動きを見るということ。見えた(感じとった)時にすでに反応していること。

 要は、相手に即するということ。そこに相撲の面白さがあると、白鵬は言いたかったのだろうか。

 動きを感じていること。手に取るように分かること。おそらくは心の目を通して。

 心技体の、とくに「心」の大切さに触れていた。

 聴きながら、心とは? と考えていた。

 自分の思い通りに事が運ぶのではなく、思い通りにいかない日々の動きにこちらから合わせていくことで、いつの間にか周りとの呼吸が合って来る、そういうのも後の先というのかもしれない。

 心とは、その一切の、人と世の動きを言うのだろう。心を「気象」とも言う。変幻なるの動きの一切。

 即することを楽しむ、これはあらゆることに通じる。

 自在でありたいと、思った。

009

(さざんかと松と高崎山)

 

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