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心に宿る「何か」

 前回「人権」の続き。

 「私」の心に宿る思いを大切にすることが生きることである。

 感じられているそれは、私の意思を超えているし、夢の出来事のように意想外の現われ方をする。具体的には言えない、「何か」としか言えない。

 音楽家はそれを音で表現しようとする。「音楽とは魂を奪うこと」と言った人もいた。

 美術家はそれを色や形で表そうとする。「私は私のオバケを表現したい」と言った人もいた。

 スポーツ選手は動きで。文筆家は言葉で、それを表そうとする。

 可能性を追求する人のあらゆる行為は、その「何か」を表現しようとすることであり、その「何か」との対話である。

 それが、生きること。

 教師にとっては、授業で語られる自分の言葉が自分の言葉ではなく、「何か」の意思であると感じられる瞬間に、喜びが感じられる。

 その「何か」が大切にされなくてはならない。「何か」は、美とも、力とも、モラルとも、生徒そのものとも感じられる。

 人は、人の意思を超えたものと対話するからこそ、生きていられる。生命は、と言い換えてもいい。

 いじめや差別とは、その対話を欠く振舞である。先入見で決してしまっているし、だからそれにそぐわない考えを排除しようとする。

 「何か」を大切にすること。

 無定見に在ることが生きること。

 多様性と意想外を愛すること。

 あらゆる可能性に開かれていること。

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(興味しんしん)

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