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2010年12月

心に宿る「何か」

 前回「人権」の続き。

 「私」の心に宿る思いを大切にすることが生きることである。

 感じられているそれは、私の意思を超えているし、夢の出来事のように意想外の現われ方をする。具体的には言えない、「何か」としか言えない。

 音楽家はそれを音で表現しようとする。「音楽とは魂を奪うこと」と言った人もいた。

 美術家はそれを色や形で表そうとする。「私は私のオバケを表現したい」と言った人もいた。

 スポーツ選手は動きで。文筆家は言葉で、それを表そうとする。

 可能性を追求する人のあらゆる行為は、その「何か」を表現しようとすることであり、その「何か」との対話である。

 それが、生きること。

 教師にとっては、授業で語られる自分の言葉が自分の言葉ではなく、「何か」の意思であると感じられる瞬間に、喜びが感じられる。

 その「何か」が大切にされなくてはならない。「何か」は、美とも、力とも、モラルとも、生徒そのものとも感じられる。

 人は、人の意思を超えたものと対話するからこそ、生きていられる。生命は、と言い換えてもいい。

 いじめや差別とは、その対話を欠く振舞である。先入見で決してしまっているし、だからそれにそぐわない考えを排除しようとする。

 「何か」を大切にすること。

 無定見に在ることが生きること。

 多様性と意想外を愛すること。

 あらゆる可能性に開かれていること。

011

(興味しんしん)

人権

 人権について調べている。

 率直に言って、私はこの分野に疎いのだが、所属しているNPO法人が「障がい者差別禁止条例」作りに関わって来ているので、私も自ずと勉強することになる。

 human right 人はみな生まれながらにしてこの権利をもっているのだという。ひとりひとりがかけがえのない存在として大切にされ、守られる社会を作っていくのだという。

 存在を大切にする。

 そのとき、本当は私たちは何を大切にしようとしているのか? と、私ならば問う。

 人の心に住まう、何かある意思を大切にしようとしている。

 何かある意思とは?

 別の言葉で言えば、生命そのもの、宇宙の意思、聖なるもの。

 うまく言えないのだが――うまく言えないからこそ、古来から人は歌や詩に表してきたのだろう。

 私たちの存在は、付与されたものである。付与されたという事実――何かのためではなく、何かある意思の表れとして、生まれ(存在し)た。

 しかし目的などなくても、私たちは「何か」をつねに感じているはずである。何かある意思を大切にするとは、それと対話をすることでもある。

 

 そこで、初めの問いに戻るのだが、人権とは何か?

 人権を大切にするとは、何を大切にすることか?

 先の答えと同じく、人の心に住まう何かある意思を大切にすること。

 「人に宿る思い」である。

 なぜそれを大切にするか?

 それを大切にすることが、生きることだから。

025

(公園の一隅)

エンパワメントと人権

 森田ゆり(1998).エンパワメントと人権.解放出版社

 〈エンパワメントとは「力をつけること」ではない。ましてや女性だけが力をつけることでもない。それは人と人との関係のあり方だ。人と人との生き生きとした出会いの持ち方なのである。大人と子ども、女と男、女と女、わたしと障害者、あなたと老人、わたしとあなた、わたしとあなたが互いの内在する力にどう働きかけあうかということなのだ。力のある者がないものにそのパワーのおすそ分けをするのでもない、持てる者が持たざる者にあげる慈善行為でもない。お互いがそれぞれ内に持つ力をいかに発揮し得るかという関係性なのである〉p.14

 存在するものは誰でも愛されている、内に力を持っている、その愛、その力に気づくことがエンパワーメントである。過去の、今よりずっと鮮明な色彩の中で生きていた頃を思い出すと、そのことはより実感される。

 その力を信じていること。

 忘れてしまったのなら、ただ深く自分を見つめればいい。その時に感じられる限りないよろこびのようなものが、力である。感じられないなら、それが私にはあるのだと、とりあえず信じてみたらいい。

 信じていたら、少なくとも自分を大切する気持ちの余裕が生まれる。かけがえのない私は、すると、もっと自分に大切にされていいと思うだろうし、また人を大切にしようと思うだろう。そうやって、私とあなたはつながっていく。

 あなたは私のために生まれてきたのだと、ある瞬間に気づくかもしれない。だから私たちはいっしょに生きていく。どこまでも(いつまでも)。

 私が存在するのは、未知の誰かに出会うためかもしれない。その人もまた、私たちの輪に必要な人かもしれない。そうやって、人と人は手をつないでいったらいい。

 大切なことを、大切な人を、大切にする、それ以外に人生の目的などあるだろうか。

 この世は、本当は何のために在るか。

009

(朝陽を浴びて)

風の夜

 2010年12月24日(金)午後8時。

 夕方から風が強くなって、寒さが増してきた。骨の髄に堪える。

 風が強い分、空気が澄んで、星も良く見える。満月を2日過ぎた頃で、明るい夜でもある。

 1キロほど離れた海岸が明るく、ドン、ドーンと音が聞こえてくる。花火が上がっているようだ。

 花火も風に流されている。煙りも流れ、マイクを通した人の声も、町の喧騒も、ひいやりとした空気に忽ち吸い込まれていく。

 3か月ほど前は皆が暑い暑いと口にしていた、それがあっという間の冬空である。近くの鶴見岳のてっぺんは薄っすらと雪化粧をしている。その遠景はわずかに震えているように感じる。あの向こうで雪の精たちが輪舞しているようだ。

 間もなく新しい年が訪れる。もう何度目の新年だろう。幾つかの新年の情景が重なり、あるいはランダムなスライドのように、頭の前辺りで明滅している。

 遠く過ぎ去ったものと、何度も繰り返されるもの。過ぎ去ったものをなお思い出そうとすると、そこにいた人の温もりのようなものが、ただその温もりだけが、どこからともなくやって来る。

 ドン、ドン、ヒューン、ブツブツブツ。花火はクライマックスらしい。

 マンションの下から、風がまた勢いよく吹いてきた。

001

(なびくはなび)

 

 

whippet

 先日(12月5日)、豊後大野市千歳町のマラソン大会にて、とてもかわいい犬を見かけた。何という名(種類)の犬だろう?

 かなりスリム、訴えかけるような目が愛らしい、中型犬…、ということで調べてみたところ、whippet と分かった。

 イギリス原産、グレイハウンドを改良したものらしい。目が良く、足が速く、おとなしい感じ。

 インターネットでいろんなブログを閲覧してみると、どなたも楽しそうに whippet を飼ってらっしゃる。なかでも、この方↓のブログが気に入った。題は〈スチームパンク大百科〉

http://steampunk.seesaa.net/article/170683035.html

006

(こんなところで犬と散歩したら楽しそう)

ほほえみ

 大野悠(2010).詩集 ほほえみ.みずき書房

 ほほえみとは、頬がにっこりすること。この詩集を手にして、そういうことを想った。

 詩は、ある場所へと私たちを連れて行ってくれる。私たちの知らなかった、どこか懐かしい場所へ。

 大野さんの詩は、ある穏やかさ、優しさへと連れて行ってくれる。

 そこでさまざまな心に出会う。心たちはいちようにいのちを見つめている。記憶の中のいのちは心の中で生き続け、新しく出会ういのちは心に清冽な印象を与える。

 〈行きなさい、生きなさい、/いのちあるかぎり〉 道標

 〈僕の心が/消え去った幸せのかけらを/指でたどりながら/漂っていくのです〉 数える

 〈あ、高校生たちがハンドルを切り/緑の萌える土手の下を/銀輪をきらめかせながら/海の方向をめざして行く〉 橋の上

 〈この世とあの世が/同じ空の下にある/生きている人のたましいと/死人のたましいとが/声もなく響きあっている/ぼんやりとそんな気がした〉 ほととぎす

 〈暑い夏の 蝉の声が美しいのは/蝉の 激しい命への愛惜と/真剣に生きた子供のころの/汗や笑いが甦ってくるからだ〉 蝉の声

 どこまでも今があり、私はどこにでも存在し、過ぎ去ろうとする数多の思いを見つめつづけている。

 あたたかな眼差しの奥で、拭えない後悔と不意に訪れるよろこびを生きる私がいる。

 どこまでも心を砕く。そうすることが生であるかのごとく。

 大野さんの優しい心がそのまま現われたような詩集である。

031

(ほおべにみたい)

  

 

アサーション・トレーニング

 平木典子(2009).アサーション・トレーニング.日本・精神技術研究所

 著者の平木典子さんによると、平木さんご自身がはじめてアサーション・トレーニングに出会ったのが1975年夏、カリフォルニアで行われたワークショップでのこと。

 そして1982年から、日本・精神技術研究所主催で、アサーション・トレーニングをはじめられた。

 参加者も年々多様になり、学生、教師、企業で働く人、看護師・福祉職・カウンセラーなどの援助職の方々がこのトレーニングを受けておられる。

 一読して、私はとても良い本だと感じた。あたりまえのことが書かれているのだけど、腑に落ちることが多い。アサーションとは、コミュニケーションのスキルというより、存在の仕方、という風に感じる。

 特に、「人権としてのアサーション」が共感できる。

 Ⅰ 私たちは、誰からも尊重され、大切にしてもらう権利がある。

 Ⅱ 私たちは誰もが、他人の期待に応えるかどうかなど、自分の行動を決め、それを表現し、その結果について責任をもつ権利がある。

 Ⅲ 私たちは誰でも過ちをし、それに責任をもつ権利がある。

 Ⅳ 私たちには、支払いに見合ったものを得る権利がある。

 Ⅴ 私たちには、自己主張をしない権利もある。

 自分を表現するのに、壁をつくる必要はない。受け入れられるかどうかはともかく、自己表現はしよう。そうすれば、他者の考えを受け入れることも容易になる。私たちは、私たちの権利に気づいていい。

 

 また、人のコミュニケーションは以下の3つのパターンに分けられるという。

 非主張的(Non Assertive)・・自分より相手の考えを優先し、自分を率直に表現できない。「言いたいのに言えない」「黙ってしまう」「断りたいのに断れない」「伝えても通じるように言ってない」自己否定的になる。

 攻撃的(Aggressive)・・相手より自分の考えを優先し、相手を軽視するか、否定的に捉える。その裏には、相手が自分と違うことへの不安やおそれ、相手ときちんと話し合えない不器用さなどを抱えていることが多い。

 主張的(Assertive)・・自分も相手も大切にしようとする自己表現で、自分の意見、考え、気持ちを正直に、率直に、その場にふさわしい方法で言ってみようとすること。

 アサーティブは良いですよ、でもアサーティブでなくても良いですよ、ということ。

 大切なのは、あなたがあなたらしく生きられること。その「あなた」(私)を大切にするということ。そうすると自然と相手(他者)も大切にすることになる。

 そのために、先ず自分を見つめ直してみましょう。あなたの物の見方、考え方(生き方)を見ましょう。「私は」ではじまる文を20個書いてみましょう。そして、あなたは3つのパターンの内どれに近いですか。

 あなた以外の人の物の見方に触れましょう。それは必ずしも理解できなくても良いです。それがその人であり、そのように見ているのはあなたです。

 とてもわかりやすいし、すっきりしている。

 私の見る世界は私を反映している。その私の世界を大切に育むことが生きることであるということが、本書を読んで深く感じられた。

 「私の世界」を大切にするとは、本当は何を大切にすることなのかということも。

 

 同じ著者の以下の本も楽しく読めた。

 平木典子(2000).自己カウンセリングとアサーションのすすめ.金子書房

 平木典子(2007).図解 自分の気持ちをきちんと〈伝える〉技術.PHP研究所

 平木典子(2008).いいことがいっぱい起きる! 「ほめ言葉」ブック.大和出版

 平木典子(2008).人間関係が驚くほどうまくいく 言いたいことがきちんと伝わるレッスン.大和出版

011

(豊後大野市 千歳町総合運動場の紅葉) 

 

道 La Strada

 不朽の名作と言われたフェリーニの「道」。旅芸人ザンパノとジェルソミーナの物語。

 綱渡り芸人がジェルソミーナに言う。

 「どんなものでも役に立つ。この石ころだって。…何の役に立つのか、神様にしかわからない」

 何の役に立つのか分からないけれど、役に立たないものはないと信じて生きることで、ジェルソミーナは何かを得た。

 綱渡り芸人はジェルソミーナの役に立ったし、ジェルソミーナはザンパノの役に立った(彼の中に生き続けた)。どのようにして、何の役に立つのか、分かっている人はいない。でも信じることはできる。

 綱渡り芸人のくれた石ころを彼女はしっかりと握りしめる。握りしめられ、彼女に希望を与えたことで、石ころは役に立った。

 さまざまな解釈は傍らにおき、この映画のもつ抒情を感じとり、それをいつまでも持ち続けることは、尊いことのように感じられる。

 ジェルソミーナの笑顔、困惑した顔、走り方、得意げな様子、…それらがラッパの音楽に乗って、いつまでも私たちの心で飛び跳ねている感じがする。文字通り、"不朽の名作"である。

http://www.youtube.com/watch?v=ft7ZFHw2NhI&feature=related

013

(的が浜) 

言葉の手ざわり

言葉にその人が感じられる時

生命の核のようなものが感じられる

 

太陽のとけた海のように

蜜蜂のカプセルのように

そこに永遠の夢が生まれている

 

密やかな羽音に 

無量の思いはうずくまり

海をわたる蝶たちの中空に広がる

 

いっしょに超えてゆく どこまでも

 

山の小径に降り積もる落葉たちの影にも

切通しの鉱石の襞(ひだ)にも

数多の思いは見出される

 

その存在に気づいたら

そっと手にとり温めよう

(おき)の熱さに変わるまで

001

(強風の日)

 

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