« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

2010年7月

思いによりそう14  光は差す

 『生きる わたしたちの思い』に寄り添う。

      *      *      *

 答えはいつも自分の中にあること

 どんな苦しみにも光は差すということ

      *      *      *

 先日ラジオ(NHK)で、加山雄三さんが「一隅を照らす」という言葉が好きだとおっしゃっていた。

 自分の置かれた場所で、人を照らす存在になるということ。

 苦労することと楽をすることとどちらを選ぶ? と聞かれたら、苦労を選ぶ、と言われた人の話もされていた。楽をしても何も成長しないから。

 フランスの諺には、《美しくあるためには、苦労をすること Il faut souffrir pour etre belle.》 というのがある。

 おそらく、苦しみを乗り越える際に、人は何かを得てしまう。

 乗り越えなくとも、相対した時に、苦しみの中から何かを感じとっている。

 その「何か」が大切である。

 「何か」が光である。

 一隅を照らす光である。

 

 生きるとは何か、という問いがある。

 問いが生である。

 生が答えである。

 その一切が私である。

 

 苦しみとは楽しみでもある。

 乗り越えるべき岩山がある、正攻法で踏破したい。

 その方法を考える。

 星々が煌めく。

 風が雪を巻き上げる。

 時宜を待つ。

 思いは、やがて煌めきとなる。

 

 

 

思いによりそう13  お腹が空く

 『生きる わたしたちの思い』に寄り添う。

      *      *      *

 「もう私はだめだ」 と考え

 「未来は何も見えない」 などと考えながら

 

 きちんとお腹が空いて

 お酒も飲みたくなって

 

 今日の夕焼けをみて感動していること

      *      *      *

 ある状態を「当たり前」と捉えると、そうでない状態が、異常になる。

 だが、「当たり前」の範囲が変われば、異常が異常でなくなる。

 「もうだめだ」というのは、当たり前の範囲がまさに変わろうとしている時のちょっとした眩暈のようなもので、じつは全然「だめ」なんかじゃない、むしろその瞬間こそが、生それ自体なのだと言える。

 生それ自体の時において、時の移ろいは無い。未来などどこにも存在しない。違う言い方をすれば、乗りに乗っている状態、である。

 その時、「私」はどこにいるか?

 諦めかけているか、楽しんでいるか。

 どちらにしても、お腹は空く。

 世の「当たり前」基準を変えるのは難しいが、自分のそれを変えるのは易しい。

 たとえば、目の見えるのが当たり前、ではなく、見えない人がいて当たり前という意識があれば、見えない人への配慮をつねに考えるようになる。

 それだけで、生き方は確実に変わる。視野は拡がる。

 過去の思考習慣を守る必要はない。つねにまっさらの状態で、考え、生きていけばよい。その方が人生は面白い。

 

 

思いによりそう12  だいじょうぶ おやすみ

 『生きる わたしたちの思い』に寄り添う。

      *      *      *

 そっと

 手をつつんで

 ささやく

 

 だいじょうぶ

 おやすみ

      *      *      *

 幼少の頃、眠れなくて、天井ばかりを見ていた。

 高い天井の、梁の向こうの暗闇に、何ものかがいて、こちらを見ている気がしていた。

 端から端へ、見たことのない生き物たちが、列をなして通り過ぎて行った。

 昼間に見た雲たちのせいだったかもしれない。

 よく雲を見ていた。見あきなかった。色んな物語が、生まれては消えていった。

 幼稚園のスケッチブックに、想像上の生き物を描いていた。象のような、駱駝のような、幾何学模様のような生き物を。

 それも、雲たちの変容のせいだったかもしれない。

 夜の天井は、天の川のようだった。目を閉じたり開いたりしたせいだろう、無数のきらめきも、生き物たちに加わった。

 流れる模様たちは、私にとって、子守唄のようなものだった。

 だいじょうぶ、おやすみ、そう言ってくれていたのかもしれない。

 

思いによりそう11  手の温かさ

 『生きる わたしたちの思い』に寄り添う。

      *      *      *

 触れた手の温かさに涙が出るということ

 いつかその手を離れると知っていること

      *      *      *

 人の手の温もりを感じる瞬間、何かが伝わり合う気がしてくる。信頼できる感じ。

 つながっているというより、そこに深淵と距離を感じつつ、同質の何かを感じる。

 同質の何かとは何か。

 本当は、そこにいるのは、まぎれもない他者で、他者ゆえの異質と向き合っているのだけれど、いまここに境遇をともにしているという、仲間意識を感じるのかもしれない。

 道端の花をみて、「おたく花してはりますなぁ、わたし人間してますぅ」と、河合隼雄は感じていたそうだが、そのような同質意識かもしれない。

 同質を感じるゆえに、異質に迫られてしまうこと。

 遠いから、近いと感じること。

 温もりを感じるから、非在が意識されること。

 非在を意識するからこそ、同質を感じとられること。

 あなたと私の境界がなくなってしまうこと。

 だからいつまでも温かいということ。

 はなれることはないということ。

 

 

 

Richard Oelze リヒャルト・エルツェ

 小柳玲子編 夢人館10 リヒャルト・エルツェ 岩崎美術社(1997)

 蠱惑的な物たち。

 しかし美しい別世界がここにある。

 砂漠のような、森のような、どこにも存在しない場所のような。

 自分の体質を絵にしたような感じ。

 生命の匂いが余りしない、幾何学的な線が感じられる、でも蠢くものがある。

 意識の胎動か。

 

 期待

 日々の責苦

 石のある風景

 マッチのある静物

 礼拝堂のある風景

 魔法使いとシンボル

 森の空き地

 薔薇の王妃

 夜の時間Ⅰ

 角のある動物

 喪のささやかな祭礼(エゼキエル)

 親族の小枝

 絵の中の絵

 レンブラントへのオマージュ

 神託

 嘆きの川辺で

 内部

 ガラス球とともに

 植物的生長

 エピクロス

 白い鳩

 死の人形たち

 永遠の霧の方へ

 忘れられた人々

 孤独な願い

 鳥類学的肖像

 霊魂の湿原

 孤独の喜び

 ヨサファの谷

 

 意識の深みへ降りていく、その過程で出合う物たちを、親しみを込めて描いている、そんな感じがする。

 描かれたのは、エルツェの「オバケ」。

 エルツェは孤独を愛したと言われる。奇人などではなく、ごく常識的な人であったとも。

 出合うものたちとの対話が、エルツェの人生だった。彼は対話を生きた。

 言葉ではなく、作画を通しての。

 ヴォルプスヴェーデ(彼が長い間住んだ土地)という名前も、世の中のあれこれも、彼にとってはあまり意味をなさなかっただろう。絵を見ていると、そう思われてくる。

 砂漠のような、

 森のような、

 対話の場所、

 守り育まれる場所。

http://homepage2.nifty.com/mujinkan/library/oelze.htm

 

 

 

思いによりそう10  受け継ぐ

 『生きる わたしたちの思い』に寄り添う。

      *      *      *

 そっと噛んだ、いちごからあふれる、あまい香り。

 雨上がりの空へ胸を張る、かぼちゃの葉っぱ。

 食べるということ。

 その命を受け継ぐということ。

 だれかの命をいただいて、動き続けるということ。

      *      *      *

 この世に存在するということの意味。

 私は、たまたまこの肉体を得て、ここにあるが、この意識というものは、あらゆる場所にある気がする。

 走り慣れた海岸沿いの歩道のあちこちに、遠くに見える山の頂に、人の心に。

 それを感じとるために、人は詩を書くのではないか。

 それは創造、

 それは造形、

 それはこねること、

 それはなぞること、

 それは窯で焼くこと、

 それは音を聞くこと、

 それは耳をすますこと。

 意識の彫琢をするために、人は生まれてきたのかもしれない。

 あらゆる意識が、ここにやって来れたら、

 いのちはどれほどの深みに生きることになるだろうか。

 

 〈麦の種が地に落ちて、死ななければ一粒のままだが、死ねば多くの実をもたらすだろう〉 (聖書の言葉より)

思いによりそう9  歩いていく

 『生きる わたしたちの思い』に寄り添う。

      *      *      *

 

 泣きながらでも歩いていくこと

 

      *      *      *

 何も信じることができなくて、でも歩いていかなくてはいけなくて、だから歩いていく。

 先に何があるか分からないけれど、何があるか分からないから、歩いていく。

 (分かっていたら歩かなくていい)

 何のために生まれて、何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのはいやだ(アンパンマン)

 何のために生まれたか、考える。

 何をして生きるのか?

 私は、私の最善を尽くす。それ以外に、生まれた理由などあろうか?

 泣きながらも、よりよい道を探し、辿る。

 日々の選択を誤らないこと、

 毎日が生まれ変わりであること、

 輪廻転生を生きること、

 幾世紀を渉ること、

 いまを生きること、

 成果を求めるのではなく、 

 善を生きること。

 歩みに終わりはないと知っていること。

 だからいつまでも歩きつづけること。

 

 

 

思いによりそう8  手をつなぐ

 『生きる わたしたちの思い』に寄り添う。

      *      *      *

 

 あなたの手が恋しいということ

 

      *      *      *

 つながっていたいと思うのはなぜ? そう思わない人もいるかもしれない。

 リヒャルト・エルツェという画家。彼は心の深みにひそみ、孤独を愛したと言われる。奇人ではなく、ごく常識的な人であったとも。

 人は、孤独を愛すると同時に、つながりを求めているのかもしれない。

 私は、できることなら、深みでつながることができたらと思う。

 はじめて会う人とでも、何となく、深く感じ合える気がする、そういう自分でいたい。

 その感性の触手を、敏感にしておきたい。

 アルチュール・ランボーの詩を読んだ時、とても近しい感じがした。何かがつながっている感じ。ドストエフスキー、ヨーゼフ・ロート、カフカ、プルースト、…の小説を読んだ時も、同じものを感じた。

 世界の感じ方がいっしょだと感じた。心の深みでつながっている感じ。そう感じさせるから詩人、作家なのだろうけれど。

 逆に、自分とは異質な感じのする人が世間には多くいる感じがする。でも、よく話してみれば、案外自分と近いところにいるかもしれない。本当はどうか。

 少なくとも私は、未知に焦がれている。だから、同質の何かに寄り添い、異質に向き合う。その瞬間からの自身内の変化を求めて。

 その一切が、手をつなぐこと、だと感じる。

 私は世界と、未知と、手をつなぎたい。

 あなたの手が、恋しい。

 

 テュルッ テュルッ テュルッ テュルッ

   テュルッ テュルッ テュー ♪

http://www.youtube.com/watch?v=Cs_S7ZCEL_Q&feature=related

思いによりそう7  笑顔

 『生きる わたしたちの思い』に寄り添う。

      *      *      *

 

 あなたの笑顔に こころ 透きとおること

 

      *      *      *

 うれしいから、楽しいから笑顔になるのではなく、人を元気にしたいから自然に笑顔になってしまう、そんな顔もいい。

 なんだかぎこちない笑顔も好きだ。

 さまざまな負の感情を経た直後に、小さな子どもを見て笑顔になる、そういう顔もいい。

 

 何かがほどけてゆく、ほどこうとする意思がある。

 ほどきたいから、鏡を見て笑ってみる。

 まだ、もつれたまま。

 川の流れを見て、笑ってみる。

 すれ違う人を見て、笑ってみる。

 誤解されたかも、挨拶が先でしたね。

 人から笑顔を返されるごとに、ほどけてゆく。

 目を閉じて、

 シューマンを聴いて、

 さらにほどけて、

 ほどけたところから、ことばを紡いでゆく。

 あなたの笑顔に届けることばを。

 すべての人につたえることばを。

 

 

  

 

思いによりそう6  寄り添う

 『生きる わたしたちの思い』に寄り添う。

      *      *      *

 生きているものたちの

 鼓動に耳をすませ

 そっと寄り添うこと

      *      *      *

 生きているもの、たとえば雨の雫をうけとめる葉のゆらぎ、山影から聞こえてくる声、病室での光と人の出合い、……

 生きているとは、思いがそこにあること。

 鼓動は、思いを生んでいる感性や思考の息づかい。

 耳をすませば、聞こえてくるのは、太古に生まれたもののかすかな胎動、生きることにつきまとって離れない、後悔のような、痛みのような、希望のような、生まれては消えていく様々な思念。

 寄り添うとは、聞き届けること。

 本質を掴むこと。

 対象の動く方へ、私の力をシフトし、同質の存在となること。

 できれば、一体化すること。

 

 

 

コンテンポラリー・ダンス

 6月26日(土)夜8時から、別府市美術館横の砂湯付近で行われた「詩の朗読会」に初めて参加した。雨の中、波の音を聞きながら、海からの闇と光を感じながら。

 その時に参加されていた木村秀和さんのワークショップに、翌日お邪魔した。杵築市山香町の市立山香病院のすぐ近くにあるアトリエ「ホッペ四辻店」にて。

 青いペンキを塗った長方形の縁のある台におが屑を敷きつめ、ストローで息を吹きかけてうず巻き模様をつくる。遊び心がくすぐられる体験だった。

 もう一つ。黒い画用紙(八つ切り)に、ルールを決めて、色鉛筆で曲線を引き、色を塗る。できた模様がなんとも奇麗だったので、さっそく家に帰って、黒い画用紙と色鉛筆(36色)とクレヨン(50色)を買って、同じことをやってみた。

 その木村さんがコンテンポラリーダンスをされるということで、今日、別府市街の platform 01 というスタジオにお邪魔した。練習見学のつもりが、参加することに……

 一見したところ、動きの意味がわからなかったのだが、実際に練習に参加してみると、なぜその動きなのか、よくわかった。自分の体を動かしてもらって、とても気持ち良かったし、私も人の身体を動かしてみて、ダンスのコツがすこしつかめた気がした。ここには参加し、体感する楽しさがあった。

 木村さんのやっておられるワークショップには、そういう "創造するよろこび" がある。今日のダンスに参加したのも、そういう楽しさを "予感" してのことだった。

 絵を描くこと、詩を書くこと、音楽を演奏することと、同じだと感じた。創造の癒し、と言うべきか。日々の営みも創造である。毎日の "気づき" が私たちを生かしてくれる。

 日常とは創造である。

 

思いによりそう5  小さな奇跡

 『生きる わたしたちの思い』に寄り添う。

      *      *      *

 

 小さな奇跡を積み上げていくということ

 

      *      *      *

 いまここにあることが不思議だった。

 次の瞬間もおなじ私がつづいていることへの、疑問と不安。

 存在することの違和感。

 それは奇跡のようなものだと感じていた。

 そのような私は、最近すこしこの世に慣れてきたような気がする。

 すこし。

 慣れてきた部分も、慣れていない部分も大切。

 目の前を通り過ぎていくすべてを「小さな奇跡」と感じることは、自分なりの色んな気づきを生む。

 この、自分なり、というのが肝要。

 なぜなら、「他人なり」に生きている人が多い気がするから。

 でなきゃ支持率がコロコロ変わるはずもなく、差別がなくならないはずもなく……

 自分の感性を大切にすること、核心に触れるまで考えつづけること。

 小さな奇跡を積み上げていくとは、自分なりの気づきを重ねること、

 それが私の、生をかたちづくる。

 

 

 

思いによりそう4  独りぼっち

 『生きる わたしたちの思い』に寄り添う。

      *      *      *

 独りぼっちということ

 寂しいことではないということ

 だって わたしという人は

 わたししかいないということ

      *      *      *

 私の唯一性、私は私しかいないことについて。

 どう考えてみても私は孤独ではないということについて。

 

 存在している、ただそれだけで人は愛されている。だれに? みんなに。

 いろんな思いが生まれ、交わり、消え、また生まれる中で、だれかに抱かれたそれは、まただれかを愛し、永遠の連鎖になって、そこここにある。

 私の価値は、愛さていること。

 私はたった一人なのだけれど、愛は満ち溢れているということ。

 孤独がつらいのは、その愛に気づいていないから。気づかないのは、その愛が目に見えないから。見えていない人が、みんなして「無いよ」と言っているから、ついそんな気になってしまうから。

 本当は、独りであるとは、豊かであること。

 社会の属性に意味がないことを知っていること。

 独りであるとは、愛について考える時間と、愛される時間がたっぷりあるということ。

 

  

思いによりそう3  わかりあう

 『生きる わたしたちの思い』に寄り添う。

      *      *      *

 わかりあえないということ

 それでもなおわかりあおうと懸命になるということ

      *      *      *

 人と人が本当にわかりあうことは、あり得ないと思う。

 でも、わかりたい気持ちは自然と湧き出てくる。

 なぜか。

 そのわかりたい対象とは、本当は、「私」のことでは?

 ……私は、この私より、もっと広くて、大きくて、多様で、そのことにこの私は薄っすらと気づいていて、あなたが私だということにも(その逆にも)、微かに身に覚えがあって、じつは私たちは私かもしれないこと、星々の煌めきも私かもしれないという考えが、不意にこの私をよぎったりする……

 私たちは私たちのことをわかりたい。

 あなたの意外な言葉は、あなたの心とはうらはらで、いや本当はど真ん中のストレートで、でも本当に喋っているのは、あなたなのかどうか。

 あなたなのだけれど。

 この私が本当にわかりたいのは、あなたをして語らしめている、この宇宙の意思のようなもの、なのかもしれない。

 わかりあえないそれは、「他者」と呼ばれる。

 ……わかりあえないから他者で、わかりあえたら「私」だ……

 私は、他者をわかりたいから、広く、大きく、多様にもなるのかもしれない。

 なおわかりあおうと懸命になるのかもしれない。

 

 

思いによりそう2  歩き続ける

 ひきつづき、『生きる わたしたちの思い に寄り添う。

      *      *      *

 その意味を

 探し続けること

 

 見つけたかも

 と思っても

 また分からなくなって

 手に入ったかも

 と思っても

 また見失って

 それでも

 ずっと

 歩き続けること

 探し続けること

      *      *      *

 探し続けること、その意味を。そのくり返しだと、たしかに思う。だから私も、日々に出合ういろんなこと、ものを心に刻もうとしている。

 私にとって印象的なできごとを、強いて記憶する。その意味を、ある場所に置いて、考えてみる。

 そうやって、ある時気づく。気づきを碑に記す。それは、いつかは忘れ去られるのかもしれないけれど、そうやって考えて記すことが、貴いのだと感じる。

 だれからも認められないかもしれないけれど、いつかは砂に描いた絵みたいに消えるのだろうけれど、描いたという事実は、永遠に消えない。

 歩き続けること、探し続けること。歩いた、探した、その過程は消えることなく、だれかの心に、不意に届く。

 たとえ届かなくても、歩く。

 

 

思いによりそう1  愛する

 谷川俊太郎 with friends(2008).生きる わたしたちの思い.角川SSコミュニケーションズ 

を読んで、幾つかの「思い」に寄り添ってみようと思う。

      *      *      * 

 見つめ合うということ

 分かり合うということ

 涙が零れるということ

 深く、想うということ

 

 この世の中の何もかもが

 見えなくなるということ

 

 愛するということ

      *      *      *

 この世の中の何もかもが見えなくなる、それほど深く愛すること、それが生きること。本当にそうだと思う。その時、時間は止まっている(無時間の中にいる)、それが永遠ということ、無限ということ。

 生きるとは永遠の今に在ること。

 無我夢中ということ。

 苦しいということ。

 それを経た今があること。

 

よあけ

 ユリー・シュルヴィッツ 作・画  瀬田貞二 訳.福音館書店(1977)

 

   よあけ

 

 おともなく、

 しずまりかえって、

 さむく、しめっている。

 みずうみの きのしたに

 おじいさんとまごが もうふでねている。

 つきが いわにてり、ときに このはをきらめかす。

 やまが くろぐろと しずもる。

 うごくものがない。

 あ、そよかぜ……

 さざなみがたつ。

 しだいに、ぼおっと もやがこもる。

 こうもりが1ぴき、おともなく まいでる。

 かえるのとびこむおと。ひとつ、またひとつ。

 とりがなく。どこかでなきかわす。

 おじいさんが まごをおこす。

 みずをくんで

 すこし ひをたく。

 もうふをまいて

 ぼーとを おしだす。

 みずうみに こぎだす。

 おーるのおと、しぶき、みおをひいて……

 そのとき

 やまとみずうみが みどりになった。

 

      *      *      *

 

 静かな美しい絵本。引用文の1行が1頁に当たる。

 色調は、初めは暗く、しだいにうす明るくなり、

 「そのとき」の頁の右上がほのかにうすみどりになる。その感じと、次のページの大きなみどりがうれしい。

 「つきが いわにてり、ときに このはをきらめかす」の情景が美しい。

 この絵本を読んで育った子なら戦争などしない、と思わせる。

 そのような希いを、絵に表白したのかもしれない。

 思いを込めて、まだ見ぬだれかに向けて描く。

 内なる思い、希いを絵にすると、このような静謐になるのかもしれない。

 

 

近しいもの

 私に近しいもの

 部屋にいる静かな犬とうさぎ

 並んで立っている本たち

 短くなってきた鉛筆

 

 いつもの道できく信号のメロディ

 海のといき

 風のうずまき

 木漏れ日のかさなり

 川面を跳びはねる光たち

 

 泥んこのゆきだるま

 羽をとじたりひらいたりしている蝶

 垣根のねばっこい若芽

 ふっときこえる小川の水音

 

 青空をゆくひこうき雲

 夕空のグラデーション

 またたきはじめる宇宙たち

 みちかけをくり返す月の周期

 

 おさなき日々の思ひで

 好きな詩のことば

 永遠というもの

 無限

 

 古い時代のおはなし

 妖精たちのキリのないおしゃべり

 カフカの夢の物語

 プルーストの細部

 ヘッセの理想郷

 

 目にみえない

 耳にきこえない

 肌にかんじられない

 とおいきおくのような

 明滅するぬくもり

 

 

 

 

生きる

     生きる

                    谷川俊太郎

 生きているということ

 いま生きているということ

 それはのどがかわくということ

 木漏れ日がまぶしいということ

 ふっと或るメロディを思い出すということ

 くしゃみをすること

 あなたと手をつなぐこと

 

 生きているということ

 いま生きているということ

 それはミニスカート

 それはプラネタリウム

 それはヨハン・シュトラウス

 それはピカソ

 それはアルプス

 すべての美しいものに出会うということ

 そして

 かくされた悪を注意深くこばむこと

 

 生きているということ

 いま生きているということ

 泣けるということ

 笑えるということ

 怒れるということ

 自由ということ

 

 生きているということ

 いま生きているということ

 いま遠くで犬が吠えるということ

 いま地球が廻っているということ

 いまどこかで産声があがるということ

 いまどこかで兵士が傷つくということ

 いまぶらんこがゆれているということ

 いまいまがすぎてゆくこと

 

 生きているということ

 いま生きているということ

 鳥ははばたくということ

 海はとどろくということ

 かたつむりははうということ

 人は愛するということ

 あなたの手のぬくみ

 いのちということ

  

      *      *      *

 

 朗読していただいた時、ふかく心にとどいた。

 色んな映像がよこぎった。

 ながい時間がすぎた気がした。

 ということ、のたびに、そうね、と思った。

 いつまでも聞いていたいと思った。

 いつまでも生きていたいからかもしれない。

 

 

 

« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ