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あなた達を産んでよかった! ――淳一、美和日記――

 松尾キヌエ(1994).あなた達を産んでよかった!――淳一、美和日記―― .近代文藝社

 今年の4月から毎日新聞に連載されている〈幸せのかたち 「気持ち」の物語 オセロのように〉を読んでいるうちに、松尾キヌエさんが16年前に出版した日記『あなた達…』を読んでみたくなった。

 キヌエさん(71)は、重症心身障害の淳一さん(43)、美和さん(41)の母親である。淳一さんと美和さんは言葉が使えない、1人で食事ができない、トイレを教えることもできない、ただ黙っているだけ。

 今から36年前の日記より。

 〈三月三十一日

 朝方五時頃に美和ちゃんが鼻血を出して、枕を汚してしまいました。お薬の加減によると先生はおっしゃっていました。以前の母ちゃんだったら、この子等のために夜もろくろく眠れずにどうしてこんな子が生まれたのだろうと思っていました。今は違います。この子等が母ちゃんを愛深くしてくれた。愛することを教えてくれました。以前の母ちゃんは愛の足りない女でした。この子等が私に『愛を出せ、愛を出せ』と言って磨いてくれます。子供に対してばかりでなく、父ちゃんに対しても全ての人々に対しても、母ちゃんは変わりました。相手の気持ちになって考えて上げられるようになりました。淳ちゃんと美和ちゃんのおかげで、人並の愛深い母ちゃんにならせて頂きました。淳ちゃんと美和ちゃんを両手にしっかり抱いて生きて行きましょう。どんな小さな虫喰い花でもいいから立派に咲かせましょう〉p.55

 〈五月十五日

 ……Oさんの親友のHちゃんからお手紙を頂いた中に、こんな話が書いてありました。寒さにふるえた者程、太陽を暖かく感じる。人生の悩みをくぐった者程、生命の尊さを知る。空気と光と友人の愛、これだけ残していれば、気を落とす事はない、希望は永久に人間の胸にわく、Hちゃんも色々な苦労を通り過ごしてこられたんだなと思わされました。人それぞれに色んな道を歩いて行くんですね。それを幸せと思うか不幸と思うかによって、幸せにも不幸にもなるんだなと思います。淳と美和ちゃんは、少し人並より遅れてはいるけれど、母ちゃんは元気で子等の世話が出来るし、幸せと思わなくてはなりませんね……〉p.73

 この子等と一緒に死のうと毎日思っていたとの記述も見られる。生きてきた境遇の違う私の理解の及ばない話であるが、どれほど悩み、考え、耐えて、生きて来られたことだろう。

 〈六月二十八日

 ……上の姉が、なぜ私だけこんな子供が出来て、悲しい思いをしなくてはならないのか可哀相だと言ったので、近頃淳一は薬が効いてひきつけを起こさなくなったと言ったら、薬なんか飲ませずに自然と体が弱って行って、私も人並の幸せをつかんで欲しいと言うようなことを言ったと、妹から聞いて私の事を心から思ってくれるのはありがたいけれど、何と薄情なことを言ってくれたのかと、背筋が冷える思いでした。この子等を物か動物と間違っているのではないか。健康な子だったから育てる、障害で虫食いだったから育てないとは、何と私の子供達を軽くバカに見たものだと、腹がにえくりかえる思いです……〉p.80

 「健康な子だったから育てる、障害だったから育てない」という発想はどこかで聞いたような……。そういう身勝手さは何を育んでいるのだろうか? いじめだろうか、差別だろうか、殺人だろうか? 上記の引用文に限らず、キヌエさんの言葉を読むとき、可能な限りキヌエさんの生に寄り添おうと思うと同時に、今の私たちに置き換えれば、私たちはどう生きるのかが問われていると、直截に感じられる。

 たとえば、私たちは「いじめはなくならない」と考えがちであるが、本当は「いじめはないのが当たり前」ではないか、そのように考える視点(力)をキヌエさんの言葉は与えてくれる。多くの人と異なる生き方(苦労)をしてきた人の言葉は、多くの人の当たり前を覆す、そのような柔軟さ、しなやかな強さを、キヌエさんは身につけられた。

 生きるとは考えることであり、それは言葉に表れる。

 私たちの当たり前は、本当は私たちの当たり前ではないかもしれない、そのように考える習慣を持つ人が少しでも増えたら、この世はどんなに生き易くなるだろうか。

 淳一さん、美和さんのような存在、それを愛深く育むキヌエさん夫婦のような存在は、この世の苦しみを引き受ける一方で、尊い考え方(生き方)を、人に分け与えてくれている。

 〈十月二十四日

 ……『時々ヒスは起きませんか』と尋ねられ、『もう開き直ってしまって涙も出ませんよ』と笑ったものです。『神も仏もないものかね』と、溜息をつかれる運転手さん。『自分の子供は、二人とも健康です。この子供たちが障害を受け持って下さったおかげで』とおっしゃって下さり明るい気持ちになりました。淳一がオナラを出して、車の中で臭いので、、『気の毒に』と言うと、『出るものは出さにゃね。兄ちゃん』と笑っていられました。お金を頂くのが申し訳ないみたいです。『タクシーも障害者割引があるといいですね』と言って下さり、下りる時『お母さん、しっかり頑張りなさいよ』と励まされ感謝で小田学級に着きました。今日は二人共、機嫌が良く楽しそうに保育を受けていました〉p.108

 暖かい言葉にも、そうでない言葉にも出合う。そうでない言葉に耐えられるのは、それを凌駕する困難を乗り越えてきたからで、それでも暖かい言葉には胸がいっぱいになる。

 後悔と、悩み、喜び、感謝が綯交ぜになり、多くの人の思いがそこに寄り添い、目に見えない語らいの場所を産んでいく。生まれた思いたちは、更に拡がり、新たな思いを産む。そのようにして、私たちの世はかたちづくられて行く。

 私たちのホームヘルプの利用者さんが理事をされている作業所のバザーに、2度寄らせてもらったことがある。作業所の職員の方、家族の方が対応して下さったのだが、何かとても暖かなものを感じた。それはどこから生まれるのか。キヌエさんの言われるように、愛深い生活を日々送られているからだろうと思う。愛深い接し方が自然と身についておられる。見えない愛の粉をふり撒いてもらった気がした。

 そのように、キヌエさんたちの「幸せのかたち」はここに在り、どこにも在り、色んな人に受け継がれ、リレーされて行くだろう。

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