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初夏

 小柳玲子さんの詩を初めて読んだ。その中の「初夏」という詩について。

 

 

    初夏

 大家族が離散の日 4号ほどの油絵がいちまい

 私へのわけまえになった 持ち物がほとんどない私は

 絵を壁にかけると 引っ越しは終ってしまった

 絵の中には飯茶碗と汁椀だけが置かれ そこは朝なのだった

 空気の気配で私にはそれが分かる

 食卓の縁も皿や小鉢も見えない 簡素で唐突な絵

 それでも目を凝らすと

 白い茶碗のうち側に かすかに窓が映っている

 絵にはない窓がその部屋のどこかにあるのだ

 私が決して見ることのない その古い窓の外を誰か通り過ぎていく

 私が会うことのないその人は 早い夏の服を着て

 絵のずっと奥へ消えていく

 あまり遠くて 足音も聞こえない

      *      *      *

 いま見ている絵と、思いが相即する。その呼応の妙に、この詩人の特性がある。

 小柳さんの詩は絵のようであり、音楽のようである。表されようとしているのは、何れの詩においても、「私」に纏わり付いている「思い」である。

 「思い」とは、たとえば「初夏」では、簡素な絵に仄見える絵の中の現実である。画家が描こうとした「現実」のうちとそとに、否応なく附随する物を感じとってしまう、その意識の作る視像に「私」はときめき、苛まれ、いつまでも見つめ続ける。

 心という無限のなかに生起するそれらを、詩人はもてあまし、それでも蔑ろにすることができなくて、言葉に置換しているのかもしれない。

 画家にイメージを与える物、音楽家に奏でさせている当の物が、詩の言葉(表現)を欲しているのかもしれない。

 描かれていない物、見えない物について語るには、詩が相応しい。絵や音楽との近似性がそこにある。

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