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2010年6月

生きるとはなにか

 人は何のために生きるかとの問いに、ある詩人は、何のために生きるかを考えるために生きると、答えたらしい。

 一理ある。というより、それは当然そうだと言える。人の生とは、その問いへの答えそのものである。

 生きるとは、問うことであり、答えることである。

 もう少し考える。

 問うとは、本当は何を問うているか。答えるとは、本当は何を答えているか。

 その人が一ばん大切にしているものを、である。

 自分にとって一ばん大切なもの。それは人によって違うし、それに気づいている人もいれば、気づいていない人もいる。

 ある版画家の例を挙げる。ちょうど一年前のこのブログに、「オバケと私」という記事を書いた。版画家は清宮質文。彼は、「自分のオバケを描こうとしているが、なかなかうまく掴まえられない」と言っていた。モナリザは、ダ・ヴィンチのオバケであるとも。

 人は誰でも自分のオバケを描きたいのではないか、というのが私の考えである。オバケとは、その人の内面において、その人を規定し、その人を生き生きとさせている何かである。「うまく掴まえられない」から「オバケ」である。

 音楽家が音で表現したいのも、詩人が言葉で表現したいのも、彼ら自身のオバケだろう。人はみな、自分のオバケと対話し、またそれを表現しようとして生きているのではないか。そう言えば、ソクラテスは自身のデーモンと対話していたらしい。

 そういう、掴まえられないものが、自分の中にあると自覚し、それを大切にしようとし、あるいはそれと対話し、表現することの楽しさは、他に代えがたいものがある。

 その一切の営みが生であると、私には感じられる。

 それが人間であるとも。

 山岳地帯を166km走る「ウルトラトレイユ・デュ・モンブラン」を完走したあるおじいちゃんは、なぜ走るのか? との問いに、「人間だから」と答えていた。動物はこんなことはしない。人間だから、未知の何かに魅かれて、触れたくて、走るのだ。

 魅かれて、触れたくて、そのオバケを大切にしようというのが、本来の教育である。オバケがいつか掴まえられるまで、それを慈しみ、育てる。

 人が好きな人は、つながりたいオバケを、ファッションが好きな人は、おしゃれしたいオバケを持っているのかもしれない。

 自らに孕んでしまったどうしようもない衝動、渦巻く情念、それに対処する術を身につけないままに殺人を犯す者もいるかもしれない。それに即し、守り育てることの必要を感じる。

 生きるとは、オバケを大切にすることである。

 

 

あなた達を産んでよかった! ――淳一、美和日記――

 松尾キヌエ(1994).あなた達を産んでよかった!――淳一、美和日記―― .近代文藝社

 今年の4月から毎日新聞に連載されている〈幸せのかたち 「気持ち」の物語 オセロのように〉を読んでいるうちに、松尾キヌエさんが16年前に出版した日記『あなた達…』を読んでみたくなった。

 キヌエさん(71)は、重症心身障害の淳一さん(43)、美和さん(41)の母親である。淳一さんと美和さんは言葉が使えない、1人で食事ができない、トイレを教えることもできない、ただ黙っているだけ。

 今から36年前の日記より。

 〈三月三十一日

 朝方五時頃に美和ちゃんが鼻血を出して、枕を汚してしまいました。お薬の加減によると先生はおっしゃっていました。以前の母ちゃんだったら、この子等のために夜もろくろく眠れずにどうしてこんな子が生まれたのだろうと思っていました。今は違います。この子等が母ちゃんを愛深くしてくれた。愛することを教えてくれました。以前の母ちゃんは愛の足りない女でした。この子等が私に『愛を出せ、愛を出せ』と言って磨いてくれます。子供に対してばかりでなく、父ちゃんに対しても全ての人々に対しても、母ちゃんは変わりました。相手の気持ちになって考えて上げられるようになりました。淳ちゃんと美和ちゃんのおかげで、人並の愛深い母ちゃんにならせて頂きました。淳ちゃんと美和ちゃんを両手にしっかり抱いて生きて行きましょう。どんな小さな虫喰い花でもいいから立派に咲かせましょう〉p.55

 〈五月十五日

 ……Oさんの親友のHちゃんからお手紙を頂いた中に、こんな話が書いてありました。寒さにふるえた者程、太陽を暖かく感じる。人生の悩みをくぐった者程、生命の尊さを知る。空気と光と友人の愛、これだけ残していれば、気を落とす事はない、希望は永久に人間の胸にわく、Hちゃんも色々な苦労を通り過ごしてこられたんだなと思わされました。人それぞれに色んな道を歩いて行くんですね。それを幸せと思うか不幸と思うかによって、幸せにも不幸にもなるんだなと思います。淳と美和ちゃんは、少し人並より遅れてはいるけれど、母ちゃんは元気で子等の世話が出来るし、幸せと思わなくてはなりませんね……〉p.73

 この子等と一緒に死のうと毎日思っていたとの記述も見られる。生きてきた境遇の違う私の理解の及ばない話であるが、どれほど悩み、考え、耐えて、生きて来られたことだろう。

 〈六月二十八日

 ……上の姉が、なぜ私だけこんな子供が出来て、悲しい思いをしなくてはならないのか可哀相だと言ったので、近頃淳一は薬が効いてひきつけを起こさなくなったと言ったら、薬なんか飲ませずに自然と体が弱って行って、私も人並の幸せをつかんで欲しいと言うようなことを言ったと、妹から聞いて私の事を心から思ってくれるのはありがたいけれど、何と薄情なことを言ってくれたのかと、背筋が冷える思いでした。この子等を物か動物と間違っているのではないか。健康な子だったから育てる、障害で虫食いだったから育てないとは、何と私の子供達を軽くバカに見たものだと、腹がにえくりかえる思いです……〉p.80

 「健康な子だったから育てる、障害だったから育てない」という発想はどこかで聞いたような……。そういう身勝手さは何を育んでいるのだろうか? いじめだろうか、差別だろうか、殺人だろうか? 上記の引用文に限らず、キヌエさんの言葉を読むとき、可能な限りキヌエさんの生に寄り添おうと思うと同時に、今の私たちに置き換えれば、私たちはどう生きるのかが問われていると、直截に感じられる。

 たとえば、私たちは「いじめはなくならない」と考えがちであるが、本当は「いじめはないのが当たり前」ではないか、そのように考える視点(力)をキヌエさんの言葉は与えてくれる。多くの人と異なる生き方(苦労)をしてきた人の言葉は、多くの人の当たり前を覆す、そのような柔軟さ、しなやかな強さを、キヌエさんは身につけられた。

 生きるとは考えることであり、それは言葉に表れる。

 私たちの当たり前は、本当は私たちの当たり前ではないかもしれない、そのように考える習慣を持つ人が少しでも増えたら、この世はどんなに生き易くなるだろうか。

 淳一さん、美和さんのような存在、それを愛深く育むキヌエさん夫婦のような存在は、この世の苦しみを引き受ける一方で、尊い考え方(生き方)を、人に分け与えてくれている。

 〈十月二十四日

 ……『時々ヒスは起きませんか』と尋ねられ、『もう開き直ってしまって涙も出ませんよ』と笑ったものです。『神も仏もないものかね』と、溜息をつかれる運転手さん。『自分の子供は、二人とも健康です。この子供たちが障害を受け持って下さったおかげで』とおっしゃって下さり明るい気持ちになりました。淳一がオナラを出して、車の中で臭いので、、『気の毒に』と言うと、『出るものは出さにゃね。兄ちゃん』と笑っていられました。お金を頂くのが申し訳ないみたいです。『タクシーも障害者割引があるといいですね』と言って下さり、下りる時『お母さん、しっかり頑張りなさいよ』と励まされ感謝で小田学級に着きました。今日は二人共、機嫌が良く楽しそうに保育を受けていました〉p.108

 暖かい言葉にも、そうでない言葉にも出合う。そうでない言葉に耐えられるのは、それを凌駕する困難を乗り越えてきたからで、それでも暖かい言葉には胸がいっぱいになる。

 後悔と、悩み、喜び、感謝が綯交ぜになり、多くの人の思いがそこに寄り添い、目に見えない語らいの場所を産んでいく。生まれた思いたちは、更に拡がり、新たな思いを産む。そのようにして、私たちの世はかたちづくられて行く。

 私たちのホームヘルプの利用者さんが理事をされている作業所のバザーに、2度寄らせてもらったことがある。作業所の職員の方、家族の方が対応して下さったのだが、何かとても暖かなものを感じた。それはどこから生まれるのか。キヌエさんの言われるように、愛深い生活を日々送られているからだろうと思う。愛深い接し方が自然と身についておられる。見えない愛の粉をふり撒いてもらった気がした。

 そのように、キヌエさんたちの「幸せのかたち」はここに在り、どこにも在り、色んな人に受け継がれ、リレーされて行くだろう。

The Notebook きみに読む物語

 アリーとノアの物語。

 一見自由奔放なアリーは、17歳の優等生で、「大切なことは両親が決める」生き方をしてきた。一方ノアは、勉強はできなかったが、詩の好きな父親に育てられた、心の素直な少年だった。

 アリーはノアに「大切なのはきみが何をしたいかだ」と説かれ、目覚め、口喧嘩しながらも、自分を見出してゆく。ノアは、アリーを愛することが自分の生きる道だと信じた。

 「神は科学を超えている」「私たちに不可能はない」と言うとき、ノアは確信に満ちている。確信は、アリーを愛し続けたから得られたのかもしれない。あるいは、確信があったからこそ、アリーを一生愛することができたのかもしれない。

 ホイットマンの詩の言葉が彼に具体化したとも言える。

 アリーにとって、ノアはなくてはならない人だった。忘却にあっても、彼を信頼していた。自らの物語を2人でなぞることで、大切な何かに、再び気づく。

 〈人が記憶を想起するのは、その記憶がその人の生に必要だからだ〉 プルースト

 思い出し、確かな感触を得て、眠りにつく。

 ずーっと、いっしょに、キリ果てのない世界で。

http://www.youtube.com/watch?v=EDwQ5zAknRc

今を大切にする

 ~ 2010年6月12日(土)午後5時 中津市 Étoile D'Argent (銀色の星)にて ~

 夜8時過ぎが新月の刻。

 雨が降りそうな空模様(天気予報でも雨だった)と強風。控室で、外を動いてみだれてしまった髪を再びセットしてもらう。

 いつからともなく'写真撮影会'がはじまった。ヘアメイクさんの妹さんのYさん、旧知の人たちとの再会、その度毎の去来する思いと涙、そして枠に収まる。

 思いはそこここに溢れ、途切れることのない祝福が続く。おめでとう。よかったね。ありがとう。零れ落ちたものは、こんどは会場に拡がる。

 「ねがえり事件」と「ギュウッちして事件」の真相が追及される。「リアルに答えてください」。真相は藪の中? 煙に巻くべきか否か。笑顔と、ハンカチ。明るい声とくぐもった声が飛び交う。

 思い出の話、谷川俊太郎、見上げてごらん夜の星を♪ 質問の数々。

 Mちゃん、次はあなたです!

 6名の楽しくも優しい人たちと、仲間たち。7名のかわいい子どもたちと、家族。そして、ひとり、ひとり。みんなでキャンドルの炎を心に封じ込める。

 

 今ここの今と、永遠の今、それは同じで、無限なる思いのひとつの表れである。今しか(存在し)ないから、いつの間にか過ぎ去って行くから、それを大切にし、ギュウッと抱きしめる。

 大切にしたいものを大切にする。大切なものは目に見えないんだよ(キツネさん)大切なものは、今ここにある人たちと、その思い。

 人と思いを手に、声に、目に、心に触れさせる。

 ぜひ遊びにいらしてくださいと、心から思う。

 このあたたかな喜びは忘れることができない。もうすっかり私の中に入ってしまったから。

 

 Ils ne sont pas les êtres qui existent réellement, mais les idées. (Proust)

 (思いが一ばん大切なんだよ、という意味)

 

 

 

  

初夏

 小柳玲子さんの詩を初めて読んだ。その中の「初夏」という詩について。

 

 

    初夏

 大家族が離散の日 4号ほどの油絵がいちまい

 私へのわけまえになった 持ち物がほとんどない私は

 絵を壁にかけると 引っ越しは終ってしまった

 絵の中には飯茶碗と汁椀だけが置かれ そこは朝なのだった

 空気の気配で私にはそれが分かる

 食卓の縁も皿や小鉢も見えない 簡素で唐突な絵

 それでも目を凝らすと

 白い茶碗のうち側に かすかに窓が映っている

 絵にはない窓がその部屋のどこかにあるのだ

 私が決して見ることのない その古い窓の外を誰か通り過ぎていく

 私が会うことのないその人は 早い夏の服を着て

 絵のずっと奥へ消えていく

 あまり遠くて 足音も聞こえない

      *      *      *

 いま見ている絵と、思いが相即する。その呼応の妙に、この詩人の特性がある。

 小柳さんの詩は絵のようであり、音楽のようである。表されようとしているのは、何れの詩においても、「私」に纏わり付いている「思い」である。

 「思い」とは、たとえば「初夏」では、簡素な絵に仄見える絵の中の現実である。画家が描こうとした「現実」のうちとそとに、否応なく附随する物を感じとってしまう、その意識の作る視像に「私」はときめき、苛まれ、いつまでも見つめ続ける。

 心という無限のなかに生起するそれらを、詩人はもてあまし、それでも蔑ろにすることができなくて、言葉に置換しているのかもしれない。

 画家にイメージを与える物、音楽家に奏でさせている当の物が、詩の言葉(表現)を欲しているのかもしれない。

 描かれていない物、見えない物について語るには、詩が相応しい。絵や音楽との近似性がそこにある。

大分もの展

 6月2日(水)、大分市戸次にある帆足本家酒造蔵で開かれている「大分もの展」に行ってきた。

 cloud さんの手縫い革製品、木屋かみのさんの木製の器、アクセサリー、おひさまとかぜさんの木のおもちゃ、エラン工房さんのエッグアニマル、箸屋一膳さんの手作りの箸など、楽しく、温かく、優しい「もの」たちに溢れていた。

 なかでも、最も気になったのが、有馬晋平さんの「スギコダマ」だった。杉を削り、磨き上げた「もの」の肌触り、質感、匂い、色、模様が、とても気持ちの良いものだった。人肌に馴染む感触に魅かれる。

 作者によると、「杉が日本人のソウルツリー(Soul Tree)であると確信しています」。

 「木の温もり」というもの、に触れた気がした。同時に、自然(山林)に存在する、生きている木には、敵わない感じもした。

 自然にある「もの」を抽出するのは、文化だろうか、人の営みの姿だろうか。

 あるいは、皮を使って「もの」を作ることの喜びは何だろうか。

 展示されていた「もの」たちは、本来はもっと身近で親密な物であったろう。その頃は、私たちの生も、私たちと共にある物たちと、即応していただろう。

 私は私の「もの」を作り続けていかなくてはと、心の奥底の方で、思った。

祝の島 (ほうりのしま)

 纐纈(はなぶさ)あや監督、山口県の瀬戸内海に浮かぶ美しい島、祝島(いわいじま)の物語。

 1982年、島の対岸に原子力発電所の計画が持ち上がって以来、島の人たちは28年間反対運動を繰り返してきた。その島の人たちの日常を描いた映画である。

 平萬二さん。おじいさんの亀次郎さんが一人で造った大きな棚田で稲を育てる。纐纈監督は、この棚田に一番魅かれたという。その大きさ、積み上げられた石壁に圧倒されたのだとも。萬二さんの人柄、話し振り、その内容にも、強く惹かれるものがあったと思う。

 遠い祖先から引き継いだ、生きる場所を、大切にしたいという感覚を、島の人みんなが持っている。あたり前のことではあるけれど。その思いにより、生き(考え)、生活している。その延長上に、反対運動がある。延長上というより、生活の中に運動が入っている(正月の1月2日は反対運動をする日と決まっているようだ)。

 大切にしたいものは、生きる場所だけではなく、生そのもの。

 たとえば、3人の子どもしかいない祝島小学校の入学式では、1人の(ピッカピカの)新入学生を、島の多くの人たちが参列して祝ってくれた。誇らしげな少年の笑顔が輝いていた。

 海辺でひじきを採る人。ひじきはキラキラと日に光り、篭に溢れ、茎を切る釜の音が心地良くリズムを刻んでいた。

 1年365日欠かされたことのない団らんのひとときでは、「時」が大切にされていた。

 大切なものを大切にすることの貴さが描かれていた。そして人々は、それを大切にしない考えに異議を訴えることになる。

 海の、自然の美しさ、島の人々の笑顔が印象的な映画だった。

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