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2010年5月

イル・ポスティーノ Il Postino

 1950年代、チリの人民から愛された詩人パブロ・ネルーダが、政府から追放され、イタリアの美しい島にやって来る。

 その島の青年マリオは、郵便配達人(イル・ポスティーノ)として、彼のもとへ数多の手紙を届ける。

 これは、その青年と詩人との心の交流を描いた映画である。

 青年は、初めはたどたどしく、次第に大胆に詩人に接するようになる。詩に目覚め、詩の表現(暗喩)を使いこなすうちに、互いの心が交錯するようになる。

 言葉を使うこと、美しいものを美しいと感じること、それだけで友情が成立する。2人の心が純粋だから容易に交流したように、私には感じられた。

 波の音、風の音、美しい緑、星、そして島で一番美しいベアトリーチェ・ロッソ。

 人生における最も愛すべき一枚の写真のような、宝物のような映画である。

 この世で最も大切なものは何か?

 少なくとも私にとって、それは交流し合う心であると、感じさせてくれた。

あなたは私の手になれますか

 小山内美智子(1997).あなたは私の手になれますか.中央法規出版

 13年前に書かれた本である。2008年に第19刷が出されている。長く読み継がれているようだ。今読んでも、時代の違いを全然感じさせない。

 障害当事者としての素直な気持ちが綴られている。

 障害を持つ人が、どのような気持ちで日々のケアを受けているかがよくわかり、とても勉強になった。ヘルパーとして、利用者の様々な気持ちに沿うことが、何より大切だと思う。

 〈仕事に自信をもち、プロになることは結構なことなのだが、自信過剰になり、これでいいのかという迷いが消えた時、大きな落とし穴があるのではないかと思う。長い間ケアをやっていた施設の職員や看護婦、ヘルパーたちにお尻を拭いてもらうと迷いのなさに自信過剰ではないだろうかと感じてしまう。その手の感触を感じるたびに、自分の生き方にも自信をもちすぎてはいけないと言い聞かせている〉p.30

 この感性、感じとる力の確かさに魅かれる。しかも、論理的である。

 ケアに携わっている人は、1度この本を読んでみられたらよい。小山内さんの人生の様々な場面に共感し、心を動かされるだろう。

 介助者に伝えたいことが、本当はもっとたくさんあり、でも気を使って言わずに心にしまってあるということが、理解できる。彼女自身は「もっと言うべき」と思っているにもかかわらず。

 察するということ、ケアするということ、その本当の大切さ、意味が、(何となく)感じとられることと思う。

 〈言葉が伝わらない。文字が書けない。言いたいことがあっても、言ってしまうと嫌われる……。しかし人間には言葉がとても大切であり、たったひと言で生まれ変わることさえあると信じている。言葉は人が生きていくための栄養であり、時には武器にもなる〉p.178

 言葉に対してこのような(切実な)感覚を持つ人を、私は信頼する。

Echelle du Ange

 2010年4月15日木曜日(新月の翌日)。

 午前10時に別府市役所へ行き、2人で婚姻届を提出する。本籍地は新居の別府市駅前町4番とした。3月21日(祝)に、互いの実家へ行き、妻の弟さんのサインと印、私の姉のサインと印を頂いていた。

 それに付随する幾つかの手続きを済ませ、銀行へ寄り、それから田ノ浦ビーチの傍にある Echelle du Ange にて、2人で食事をする。赤のワインで乾杯をして。

 これから、よろしくお願いします。

 こちらこそよろしくお願いします。

 午前中は小雨が降っていたが、午後になって上がった。ここからは海と別府の町がよく見渡せる。遠くの丘の上にAPU(立命館アジア太平洋大学)のレンガ色の建物があり、その手前には、停泊しているサンフラワー号が見える。鉄輪温泉の湯けむりが何本も見える。

 カモメが風に舞っている。人工の砂浜に波が打ち寄せ、リズムを刻む。

 塾の教師をしていた頃、「先生なんで結婚せえへんの?」と子どもからよく聞かれた。当時は「なんでだろうねー」としか言えなかったが、あの頃に戻れるとしたら、次のように答えられる。

 「たぶん、ある未来に私と結婚する人が、今、私との出会いを待っているからだよ」

 出会ったのは、私の企画した映画鑑賞会にて。

 「海の上のピアニスト」。伝説のピアニスト、ナインティーンハンドレッドのお話し。緩やかで美しいメロディが心に残った。その時、互いに何かを感じたに違いない。静かに、メロディが流れ始めたのだと思う。

 流れ始めた旋律に身を委ね、いっしょに時を刻む、永遠に(永遠とは深さのこと)。

 〈見つけたよ。何を? 永遠を。それは太陽に溶け合った海〉                                             Rimbaud

 垣根の薄黄色い葉が奇麗だ。白い建物に似合っている。レストランでもあり、結婚式場でもある。

 またここへ来よう。年に1回になるかな?

 記念日として。刻んで来たものを携えて。

 耀きは、見つめれば、耀きを増す。2人で、そこここの耀きを見つめ続けよう。あらゆる思いを引き受けよう。引き受けることで、情念は、静かに醸成されるだろう。いつまでも、どこまでも。

第22回萩往還マラニック(250㎞の部)完踏記

 5月2日(日)。午後3時からの選手説明会に間に合うように山口市に入る。スタートは午後6時。山口は今日は暑かったらしい。

 朝刊のお天気欄によると、2日の最高は22℃、3日は最低13℃最高23℃、4日は最低15℃最高23℃らしい。「明日(3日)は暑くなりそうですね」。目を合わせたスタッフが心配そうに空を見上げる。

 スタート前。ランナーのシャツを見渡すと、長袖の上から半袖、という人が一番多い。私はそれだと暑いので、半袖のみ。リュックにウィンドブレーカー、175㎞の宗頭文化センターに届ける手荷物袋に、代えの靴、靴下、長袖シャツ、蜂蜜を入れる。

 250㎞の部の制限時間は48時間なので、4日の午後6時までに帰ってきたらよい。昨年は後半に足を引きずって歩いて、47時間28分13秒かかった。今年は、そのリベンジをする。

 ① CP(チェックポイント)1豊田湖畔公園(58.7㎞)まで

 「エイ、エイ、オー!」 かけ声とともに、緑鮮やかな瑠璃光寺の、五重の塔の前を第2ウェーヴでスタート。ほどよい風、空気感。ゆっくり走り始める。上郷駅(13.2㎞)で初めてのエイドがあり、パン、バナナ、水を頂く。そこから山間部へと向かう。風が涼しくなって来る。釜ヶ淵辺り、「13℃」の電光板が見える。

 2つ目のエイド、湯ノ口(21.8㎞)辺りから、身体全体、とりわけ下肢の筋肉に疲労を覚え始める。明日以降のことを考え、極力無理をしない。時々立ち止まっては、屈伸運動を繰り返す(このストレッチはゴールまで続けた。走り込み不足を痛感するが、後悔しても始まらない)。

 美祢高校前エイド(32㎞)の手前で道に迷いかけた時、北海道のOさんらに合流し、しばらくいっしょに走る。少しペースが上がった。西寺のエイド(44km)に午後10時45分に到着する。温かいコーヒー、梅干し、バナナを頂く。ここからが初日夜の正念場である。

 痛み、疲労感が下肢に拡がるが、走ることはできる。間もなく日がかわる。ペースが急に落ちてくるが、仕方ない、そのまま走り続ける。豊田湖畔ではうどんを頂けるので、少し体力が回復するだろう。

 ② CP2俵島(98.5㎞)まで

 豊田湖畔を0時45に出発する。しばらく歩き、やがてゆっくり走り始める。確かに体力は回復したみたいで、身体が幾分軽い。調子に乗ってスピードを上げた。次のエイドの俵山温泉(67.1㎞)についたのが1時35だったので、この間の8.4㎞を50分で走っている。

 俵山温泉のエイドは「優しい」というイメージがある。毎年、数名の高校生が待機していて、ジュースを注いでくれるのだが、とても丁寧で優しい。コーラ、オレンジジュース、饅頭を頂く。ここから、砂利ヶ峠(じゃりがたお)を越え、新大坊エイド(80.1㎞)に向かう。その峠の下りから、先刻からの痛み、疲労感が増してきた。残り3kmほどは歩く。

 エイドに3時40分に到着。味噌汁、バナナ、アクエリアスを頂く。それでも身体は重く、歩き続ける。そこへ睡魔が襲ってくる。余りの眠たさにどうしようもなくなって、82㎞辺りで、ウインドブレーカーを羽織り、広場に寝転ぶ。だが寒さですぐに目が覚める。まだ眠い。油谷(ゆや)大橋を渡って、海湧(うみわき)食堂(87.2㎞)に着くまで、更に2度寝転ぶが、何れも風の強さと寒さですぐに目が覚める。仕方ない、食堂まで歩く。夜が明ける。

 食堂に5時30分頃到着し、おかゆを頂く。少し回復した。眠気はあるが、なんとか走れそう。しばらく歩いてから、ゆっくり走り始める。しばらく走っていると、リズムが生まれてくる。そうなると、ゆっくりではあるが長く走ることができる。その調子で、俵島のCP2まで走る。

 漁港付近の人たちと挨拶を交わす。交わすたびに、少しずつ元気が出てくる感じがする。日が昇り始める。明け方の強風は止み、雲が一掃され、青空が拡がる。「暑くなりそうですね」。ランナーとすれ違うたびに、そういうことを挨拶に挟み入れる。

 午前7時過ぎ、ようやくCP2に到着。水と飴を頂く。「水を少しください」と言うと、「少しだけやのうて、なんぼでもどうぞ」と、おばあさん。お言葉に甘え、500mlのペットボトルを満タンにする。

 ③ CP5千畳敷(125.4㎞)まで

 俵島を後にして、川尻岬に向かって走る。昨年までの2回は、この辺りは上りも下りもずっと走っていた。でも今年は上りと急な下りは歩き、それ以外を走ることにする。下肢の疲労を軽減したいためである。おそらく最後の30㎞が違う。

 CP3川尻岬・沖田食堂(107.8㎞)に午前8時20分に到着し、カレーを頂く。自動販売機でジュースを買い、出発。これまで同様、しばらく歩いてからゆっくりと走り始める。日が照り、暑くなってきたので、木陰を探しながら走る。川尻の棚田の風景が奇麗である。八重桜が散り初め、花びらを飛ばしている。新緑のトンネルを走る。丘の上の日吉神社の鳥居をくぐり、海岸へと降りてゆく。

 左手に海を見ながら、アップダウンの1本道を走る、先の方法で。木陰に時々湧水が流れていて、それを掬い頭から被る。CP4立石観音(117.7㎞)を10時に通過、ここから千畳敷(標高330m)まで上る。暑いけれど、風があるので熱は通り過ぎる。ゆるやかな上り坂なら走り、ランナーを少しずつ追い越す。急な上り坂では、なるべく走るのとは違う筋肉を使う気持で歩く、ストレッチ感覚で。

 11時15分にCP5千畳敷に到着。上り坂を駆け上がったせいか、みなさんに拍手で迎えられたのにはちょっと驚いた。風が心地良い。入念に屈伸運動をし、スポーツ飲料を買い、出発する。

 ④ 宗頭(むねとう)文化センター(175.7km)まで

 千畳敷を下り始めると、左手に青海島(おうみじま)が見える。海が青く、とても奇麗な風景である。これからあの島の東端にある鯨墓を目指す。この下り坂は急なので歩く。

 道が平坦になってしばらく走り、中学校の生徒たちが応援してくれる黄波戸口エイド(131.1㎞)に、正午過ぎに着く。そこでパン、塩、氷砂糖、コーラを頂き、生徒の声援とハイタッチに送られ、青海島へ向かう。

 仙崎公園(143.3㎞)に午後2時15分に到着。余裕があったら「金子みすず記念館」に寄ろうと思っていたのだが、今回はパスしよう。走ることに集中し、体内にリズムを刻む。CP6鯨墓(153.8km)に午後4時ちょうどに着く。

 この、アップダウンの続く島の往復路で、静岡のYさんと何度もすれ違う。その度に、「暑いですね」「今年は我慢大会になりましたね」「いよいよ宗頭ですね、がんばりましょう」と話しかけてくれる。2日の選手説明会で10回完走の表彰を受けていた、若いけれどベテランランナーである。

 鯨墓を折り返してすぐに、兵庫のKさんと3たび会った。Kさんの笑顔には人を元気づける力がある。

 午後5時半過ぎに仙崎公園に戻る(163.9㎞)。さあ、もうすぐ休息のできる宗頭文化センターだ。宗頭までの道を明るいうちに走るのは初めて。赤、白、桃色の立派なツツジが、あちこちの庭先で咲きほこっている。

 ⑤ 東光寺(215.2km)まで

 少し暗くなった午後7時半過ぎに、宗頭文化センターに到着。応援に来てくれた妻、ヘルパーのMちゃん、知り合いのMさんに合う。嬉しい。センターでは、味噌汁とおにぎり1個を、それに熊本のK君からロキソニンと胃薬を頂く。10分ほど横になり、預けておいた靴と靴下とシャツに着替え、蜂蜜を口に含む。

 手荷物袋を再び預け、8時20分に出発。ここから、仙崎から宗頭に来る途中で出会った千葉のAさんといっしょに走ることになる(ゴール手前まで)。

 同行というのは難しいと思う。互いのペースが違うからだ。でも、Aさんは人に合わせるコツを知っておられる感じがした。私はずいぶん楽をさせてもらった感じがする。Aさんの人当たりの良さのせいかもしれない。

 玉江駅(195km)までは、もうひとり広島の方ともいっしょだった。宗頭を出て鎖峠(182.2㎞)までは歩き、そこから少しずつ走りを入れた。足が痛いのに無理して付いて来られたかもしれない。日が変わり、玉江駅に着いて、「ここからは走れるところまで走りますね」、と言うと、Aさんは「付いて走ります」とおっしゃったが、広島の方は、「後から追いかけます」。K君のロキソニンをここで服用する。

 ここからCP9虎ヶ崎・椿館(206.9㎞)手前まで走った。7kmほど走ってからAさんの足音が後方から消えたが、最後に盛り返された。「スピードがありますねー」と冗談で言うと、「しんどいですよー」。椿館からは岡山の方も同行されたが、下肢の痛みゆえ、佐々並エイド(235.7㎞)の手前でその方とは別れた。椿館のある陸繋島を出て、再び走り出す。しばらくして、B140kmの先頭ランナーに出合う。Aさんが声援を送る。

 歩いたり走ったりしているが、兎に角眠い。土の道に落ちている枯葉が綺麗な絨毯の模様に見えた(ヨーロッパ中世のタピストリーのよう)。周りの木々やガードレールの影が人の姿に見える。幻覚を見る人もいるらしいが、それに近い。それでも歩を進められたのは2人の同行者がいたせいかもしれない。

 ⑥ ゴールの瑠璃光寺まで

 午前4時40分に、CP10東光寺を通過。Aさんを先頭に走り続ける。空が明け初める。風が冷たく、強い。夏みかんの木々が揺れる。219.5㎞から萩往還道に入る。この辺りから、140kmの部のランナーと次々とすれ違う。すれ違う度に挨拶(エール)を交わす。舗装道ではなく、土の上を走ると、足に優しい感じがする。山肌の湿った所からは蛙のくぐもった声がする。晴れたり曇ったりの模様、木漏れ日が心地良い。

 明木市(あきらぎいち)のエイド(225.9km)で名物の蕎麦饅頭を頂く。一升谷は歩いて上る。お2人が辛そうだったので、休憩を挟む。国道に出て、Aさんが再び走り始める。70㎞の部、35㎞の部、歩け歩けの部の参加者たちとも、次々と挨拶を交わす。その挨拶が途切れない。佐々並のエイド(235.7㎞)を過ぎて、ようやく列が途切れる。途切れて、出会った方から、梅干しと羊羹を頂いた。何れも、ピクニックには必需品である。

 残り7㎞、夏木原キャンプ場辺りで、Aさんが「第何ウェーブ?」と聞かれる。「第2ウェーブです」と言うと、「じゃあ、先に行ってください」。彼は私より7分ほど後にスタートしているので、どうぞお先に、ということらしい。「背中を見ながら走りますから。私も11時までにはゴールしたいので」とのこと。それでは、ということで、先行させてもらう。時刻は午前10時15分。

 板堂峠を3年ぶりに全力で走る。下りもスピードを保つ。ただし石畳に足を取られないように気をつける。葛篭折れの道の石畳はところどころ苔が生えている。峠を下り、舗装道に入ってからは、更に速度を上げる。1年前に杖を突き、足を引きずって歩いた道を、ストライドで飛ばす。10時50分になろうとしている。最後の200mの坂を全力で駆け上がる。妻とヘルパーさんの顔が見える。帰って来たよ。

 私が妻の車いすを押し始めると、ヘルパーさんが代わりに押し始める。

 「3人いっしょにゴールしよう」。3人で、ゴールのテープを切る。

          *      *      *

 そしてAさんがやって来る、7分後に。結果として、私のタイムは40時間48分11秒。Aさんのは40時間48分4秒。

 僅か7秒の差に、Aさんも驚いていた。

 「またお会いしましょう」。

 

 by  A‐23

 

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