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私の命は私のもの?

 先日(3月21日)、NHKスペシャルを観た。新聞の番組欄には、

 呼吸器を外してください/柳田邦男と患者が紡ぐ命の対話/誰のために生きるのか

 と記してあった。

 ALSで、人工呼吸器を装着して生活している勝浦の照川さん。もし自分が「完全な閉じ込め状態(TLS)」になり、何も表現できなくなったら、呼吸器を外して欲しいという。

 作家の柳田邦男さんは、周りの人たち、家族のために生きてもいいのでは? と問いを投げかける。

 でも、照川さんは、それは自分には酷なことだという。

 柳田さんのことを「情に厚い人」と感じた上で、「私は私の命は私のものだと思っています。柳田さんはどうですか?」と、言葉を繰り出す。率直な疑問である。照川さんは合理的な考え方をする人のようだ。

 それに対し、柳田さんは直接言葉を返すことはしなかった。

 私の命は私のもの?

 論理的に考えて、私は、私の命が私のものだとは言えないと思う。なぜ、私の命が私のものと言えるか? そこには飛躍を感じる。命は、所有され得るものなのか? そも、命とは何か? 私は生まれようと思って生まれてきたわけではない、謂わば授けられたもの。私の生き死にを、私は願うことはあっても、所有はできない。

 では、私の考えは私のものか? これも疑問。私の考えすら、私のものではないと感じる。更に言えば、私の生き方も(これは蛇足)。

 酷でも、生きていくしかないと、私は思う。

 番組の終わり、勝浦の浜辺で、照川さんは何を考えていたのだろう。

 私の命は本当に私のもの? そう繰り返していなかっただろうか?

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