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いまを生きる Dead Poets Society

 Dead Poets Society, 1989.

 Carpe Diem (Seize the Day)  いまを生きろ

 高校生の時に、キーティングのような教師に出会ったなら、その人の人生は確実に変わると思う。

 じじつ、自分をダメな人間だと思っていたトッドは、キーティングに生の喜びを分かち与えられ、勇気ある人物;へと変わった。ニールも、いまを生きた。ミークスも、"ヌワンダ"も、ダルトンも、そしておそらく"告げ口屋"キャメロンも、出会いにより、人生が変わった。

 私の高校3年の時の現代国語の教師も、キーティングのように大胆ではなかったが、熱意をもって授業をしてくれた。教室の前と後ろの黒板いっぱいに、生徒たちに感想文を書かせ、その一つ一つに熱心な、あたたかいコメントをくれた。その時、私は彼の熱意に促され、生まれてはじめて感想文を書くことができた。それから読むことと書くことが好きになった。

 以来言葉や文章に接する時に、あるいは教師をしていた時に、私は彼の熱意を、自分の意識の中に感じることがよくあった。

 私の教師も、キーティングも、誰かの情熱に促されて生きた人だったのではなかろうか? 教師の役割をよく知っていた。

 ソロー、ホーソーン、シェリング、テニスンら、作家や詩人の、言葉の力によるのかもしれない。

 熱意、意思に呼応し、それに促されて生きることで、その人は自分の中に或る意思を宿し、それと共に生きることになる。その意思が、「命なるもの」であるなら、その生はより「命」であるだろう。

 数多の意思を宿す、その意思は人の意思かもしれず、人以外の意思かもしれない。それらと共に在ることが、大切な気がする。

 たとえば、私の中にニールが生きること。

 (数多の意思の住まう場所が、「私」である)

 キーティングとの別れに際し、トッドが「キャプテン、マイ・キャプテン」と言って机に立ち、何人もの仲間が彼に倣うシーンは胸に迫るものがあった。

 敬意をこめて、人生における大切な何かを守ろうとして、彼らはキャプテンを呼びとめた。

 言葉に表せない、様々な思いが交錯(共鳴)した。

 

 

 

 

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