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閃きのかたち

 モネはなぜ同じような睡蓮ばかり描くの? と訊かれたことがある。以来、考え続けてきた。

 考えてみれば、モネだけでなく、どの芸術家も、その人のかたちといったものを持っている。ルオーの絵をちらっと見ただけで、あっルオーだ、とわかる。清宮には清宮のかたちがある。サザンにはサザンのかたちがある。

 それがその人なのだ、と考えれば、理解は容易である、が、それを「閃きのかたち」と呼んでみたい。

 インスピレーションを受けたとき、そのかたちをしていたのだ。

 そのかたちは、その人に保持されようとし、その人の中で熟成される。子どもが何度も同じ言葉を繰り返すごとく。

 インスピレーションのかたちは、しかし、容易に定着しないので、何度も繰り返し描かれる。おそらく、いつまでも。

 ショパンのかたち、ピカソのかたち、プルーストのかたち。

 それが「永遠」である。

 物、動植物の形体も、それらの閃きのかたちである。

 何も言わない物たちの閃きのかたち。

 かたちの相互作用としての世界。その変転。

 

 

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