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2009年11月

閃きのかたち

 モネはなぜ同じような睡蓮ばかり描くの? と訊かれたことがある。以来、考え続けてきた。

 考えてみれば、モネだけでなく、どの芸術家も、その人のかたちといったものを持っている。ルオーの絵をちらっと見ただけで、あっルオーだ、とわかる。清宮には清宮のかたちがある。サザンにはサザンのかたちがある。

 それがその人なのだ、と考えれば、理解は容易である、が、それを「閃きのかたち」と呼んでみたい。

 インスピレーションを受けたとき、そのかたちをしていたのだ。

 そのかたちは、その人に保持されようとし、その人の中で熟成される。子どもが何度も同じ言葉を繰り返すごとく。

 インスピレーションのかたちは、しかし、容易に定着しないので、何度も繰り返し描かれる。おそらく、いつまでも。

 ショパンのかたち、ピカソのかたち、プルーストのかたち。

 それが「永遠」である。

 物、動植物の形体も、それらの閃きのかたちである。

 何も言わない物たちの閃きのかたち。

 かたちの相互作用としての世界。その変転。

 

 

介助の日々

 介助とは、利用者に寄り添うこと、そこに流れる時間を共有(大切に)すること、手足、耳、目、口、鼻になることである。

 できる限りその人に成ること、その人でないその人にも成ること。つまり永遠(無限)であること。

 利用者とヘルパーの相性うんぬん、の記事を新聞で見かけた。そういうのは、たぶん、どうでもいい。「相性」といっている段階で、すでに壁を設けている。

 私たちは、壁をとりのぞこうとする者たちなのだ。

 それぞれの個性を用いて。

 それぞれの思いにつきうごかされて。

白いカラス The Human Stain

 白いカラス The Human Stain (人間の傷)

 1998年、大学の古典教授コールマン・シルクは、欠席の(見たことのない)黒人学生を spook (幽霊の意、彼はこの意味で使用した。俗語として "ニガー"の含意)と呼び、人種差別により職を奪われる。彼の妻はその精神的な傷により死ぬ。

 彼自身は白い肌を持つ黒人だった。が、そのことを隠して生きてきた。その大学を立て直したのは彼であり、またユダヤ人初の古典教授との栄誉を受けていた。

 初恋のとき、北欧系の美しい恋人を実家に招いたが、黒人の母親を見た彼女は離れてしまう。自らの肌の色(出自)を、以後彼は隠す。

 職を失い、フォーニアという34歳の女性と出会う。彼女も、心に傷を持っていた。自らの過失(火事)で子どもを失い、自殺を図ったこともあった。離婚しても、ベトナム帰兵(PTSD)の元夫から付き纏われる。

 湖畔に隠棲する作家とも友情を育む。作家に、自分の生(真実)を描いてほしいとも言う(そうして出来上がったのがこの The Human Stain という話)。

 コールマンとフォーニアは、湖畔をドライブ中に、彼女の元夫の運転する対向車を避けようとして転落、死亡する。

 2人の愛は、コールマンにとってもフォーニアにとっても、尊いものであった。2人でいると、失われた何かを取り戻せる気がしたのかもしれない。かけがえのない感情に出合えたのかもしれない。あなたは私であり、私はあなたであり、そう思い合うことからはじまる永遠を、旅していたのかもしれない。

 映画の題「人間の傷」とは、2人の心の傷のことであるが、周りの人々の傷、人類の傷でもあろう。「人間の」という意味も、「人間的な」という意味も込められていよう。

 愛することの尊さを、深く考えさせられた。

 元夫に、2人を殺害する意図はなかっただろう。虚ろな目をした彼もまた深く病んでいた。

 

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