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津軽三味線の誕生

 大條和雄(1995).津軽三味線の誕生.新曜社.

 津軽三味線を生成した坊様、仁太坊の物語。坊様とは男盲の門付け芸人のこと。津軽ではホイド(乞食)とも呼ばれた。

 仁太郎は、安政4年(1857年)7月7日、北津軽、金木新田の神原村に、岩木川の渡し守(士農工商の下、筋目悪しき者の階層)の子として生まれた。数えの8歳の時、疱瘡に罹り失明。やがて、笛、尺八、三味線に出合い、芸に生きるようになる。境遇により、そのようにしか生きられなかった。才能のゆえ、もあった。

 門付けで歌い、演奏し、祭りを巡り歩いて演じ、人気を得、芸を深めた。 

 20歳の時、義太夫の「太棹」三味線との出合いにより、仁太坊の芸は更に進化する。工夫に工夫を重ねた。

 21歳の時、元イタコのマンと結婚。初めて弟子を取った。教え方が理にかなって上手だった。

 〈人真似だば猿でもできる。汝が門付けするんだがら汝の節の入ったジョンカラでねばマイネン(駄目)でぇ〉p.89

 創意工夫をすること、自由にのびのびと自分の三味線を弾くことを、伝えた。

 イタコ同様の修行もした。その中で、「撥の移動」を生み出した。

 〈どうしてそうなったか? と仁太坊は思案しつづけた。体力が限界にきたとき、大きい重い撥を握る手が自然に下コマまでずり下がり、ずり下がった撥を元の位置に引き上げ、また、ずり下がる「撥の移動」が生まれていたのである。この撥の上下移動はそれまでの仁太坊三味線に、さらにめり張りの効いた、リズムを加えたのであった〉p.91

 「弾く」から「打つ」へ、さらに「叩く」奏法へと変化した。さらに手指のスリ(糸をする)が加わった。

 〈あーあっ コラ、コラ

  神原の仁太坊、昔いい男、昔いい男

  今だば坊様 今だば坊様

  あーあっ こら、こら

  神原の仁太坊 でったらだ下駄はいで

  岩木川の砂原ぷぱひで

  木の根っさけつまげで

  出べその皮はいですもったん すもったん

  わーい どんだば

  なんだもんだば

  末ばて臭い神原の守ァ屁

  末ばて良くなる仁太坊の三味線〉p.93-94

 この囃子詞は、自らの苦難の生を面白おかしく語ったものだが、同時に心意気を表していた。

 「末ばて良くなる三味線

 自分の三味線は年月を経て良くなるとの、自信の表れでもあった。

 喜之坊、長作坊、出埼坊、嘉瀬の桃、白川軍八郎が、彼の弟子であった。弟子たちはさらに自分たちの奏法(手)を生み出し、それらが津軽各地へと拡がり、やがて鉄道の開通とともに東京へと伝わり、今日に至っている。

 叩き奏法の喜之坊は赤坊、亀坊を弟子とし、木田林松栄、副士政勝を生む。長泥ヨサレによる「曲弾き」を生んだ音澄み(ねずみ)奏法の長作坊は、梅田豊月、寅坊らに教え、その手法は高橋竹山に受け継がれる。最後の弟子、白川軍八郎は、独創的な「カマス」手を創作した。軍八郎の曲弾きによって津軽三味線という呼称が生まれ、定着した。彼は「津軽三味線の神様」とも呼ばれた。

 〈軍八郎は仁太坊と違い、性格はおとなしく温厚であった。が、こと三味線になると炎の人であった。内に秘めた炎の情熱を三筋の糸に託し、天性の音感のひらめきがあった軍八郎少年は、仁太坊から何を習い、そして、何を身につけたのであろうか。仁太坊が老骨に鞭打って弟子たちに伝えたのは、たんなる技術技巧ではなかった。「汝の三味線を弾げ」という、孤高の精神、芸魂、芸術至上主義であった。軍八郎が骨の髄まで叩き込まれた仁太坊の三味線の哲学は生きとし生ける者の永遠の哲学ではないか〉p.215-216

 とても良い本である。

 「汝の三味線を弾け」とは、確かに、すべての人に通じる、生きる姿勢である。津軽三味線の生成と隆盛の物語であるが、なぜこの芸能が今日多くの人を惹きつけてやまないか、わかった気がする。

 

 津軽アイヤ節という曲がある。元は、熊本は天草の牛深ハイヤ節だという。なぜ津軽に受け継がれたのか? 疑問を持っていたのだが、読んでわかったことがある。安政4年に、弘前藩は熊本の細川家から承昭(つぐあきら)を養子に迎えた。その2,3年後にアイヤ節が流行りはじめたとのこと。その縁組のせいなのかもしれない。

 

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