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2009年5月

いま哲学とはなにか

 岩田靖夫(2008.6).いま哲学とはなにか.岩波新書.

 図書館で何気なく手にとり、言葉の質に誠実なものを感じたので、借りて読んでみた。

 ・人はいかに生きるべきか

 ・人はいかなる共同体をつくるべきか

 ・究極根拠への問い

 ・他者という謎

 ・差別と戦争と復讐のかなたへ

 予想通り、良い本だと思った。題名の表すように、著者がこの本を書いたのは、現代に生きる人々を見て、哲学からの照射が必要だと感じたからである。

 例えば、政治。アリストテレスを引用しつつ、なぜ法は必要か(理性支配)、教育とはなにか(心性の涵養)、幸福とはなにか(真善美)を、丁寧に述べてある。

 例えば、人間関係。レヴィナスを読み解きつつ、他者とはなにか(絶対の謎)、他者と私の間にある無限の深淵とはなにか(それがなければ他者とは言えない)、自由であるとはどういうことか(受動)を問いかける。

 それらは、倫理からの問いかけである。いま哲学とはなにかを語るとは、倫理に添うことだと感じられる。

 なぜ人を殺してはいけないか? それは、少なくとも「第Ⅳ章 他者という謎」に書いてあるが、どう読むかは読み手次第である。他者を自らの手で殺めることは、私を抹殺することに等しい。他者が私だからではなく、絶対の謎である他者を無くすことは自己を不自由にするだけだからである。

 とくに気になった箇所を引用する。

 〈さて、他者との関わりとは、「助けてくれ」と叫ぶ他者の呻きに応答することである。この場合、まず、他者の叫びが聞こえるかどうかが問題だろう。・・・・・・この他者の苦しみに巻き込まれるということ、すなわち、「共に苦しむ(sympathein)」ということ、それは文字通りには「共苦」であるが、それが「共感」であり、「愛」である〉p.123-124

 それは無論、自己中心的な者に同情することではなく、相対している者を理解しようとすることである。人は自己のすべてを賭けて他者を理解しようとする、そういう存在なのだと、著者は言っている気がする。

 そのために、私たちはどう生きるのかと、問いかけている。

 終章。さて、戦争を無くすにはどうしたらよいか。これは、理性的に生きることでしか、実現されない。あるいは、公共の福祉の下に人々が支えあう社会が生まれること。

 理性的であるとは、言葉の深い意味において、倫理的であること。他者を尊重しない人が理性的であるはずはない。

 どの時代においても、私たちは、善く生きるために生きている。

 とても気持ちよく読ませてもらった。

何に因って

 何に因って生きているか、

 何に因って考えているか、

 何に因って動いているか、 

 その何を突き止めようとしているのだが、まだ掴み切れない。

 何に因って太陽は耀き、何に因って水は潤うか、 

 それらを知ろうとして、生きているのは、確かだ。

第21回山口100萩往還マラニック(250km)完踏記

 5月2日(土)午後6時。うろこ雲、南南東高度80度辺りにうすく白い半月が見える。幾分風が冷たくなってきた。最終ウェーブでスタート。

 もう少し早くスタートしようと思っていたのだが、皆さんの整列のほうが早かった。午前11時47分別府駅発、瑠璃光寺横の受付に着いたのが午後4時半。それから準備をして5時20分にスタート地点に着いたら、もう雰囲気が盛り上がっていた。

 スタートをしてずっと、人の波を掻き分け、抜いて行く。だんだん薄暗くなっていく、人が疎らになってくる、月が色づいてくる、蛙の声が聞こえはじめる。夜へ、田んぼへ、山へ・・・

 私の前を、ずっとA-7 番さんが走っている。この人はたぶんベテラン。走りに無駄がない。42kmの西寺エイドステーションまで着いていく。

 そのエイド手前から、調子が悪くなってきた。下肢も身体全体もしんどい。疲労が溜まっていたのだろうか? 靴が底の薄いもので、しかも踵に靴下式のソールを当てていて、その靴下のせいで足の甲が痛くなってもいた。

 そこでその靴下式を外してみる。少し楽になった。

 さらに、テーピングサポーター(膝用)を装着する。思えば、これが良くなかった。別府からの電車の中、試みにこれを装着していたのだが、山口で降りるとき違和感を感じていた。おそらく、膝裏のリンパを圧迫していたのでは。そのサポーターを巻いて走ると、やっぱり膝裏が痛くなる。それで、しばらく走ってから外す。

 靴下式も、サポーターも、初めて使用した。慣れないことは、やはりしないほうがいい。

 コースを外れて寝転ぶこと 5,6回。この場でリタイアしても交通機関は今は動いていないので、油谷(ゆや:80km地点)までは辿り着こうと考える。

 3日午前1時半。60km手前の豊田湖畔エイドステーションでうどんを頂き、歩きながら出発。身体が回復してきたので、再び走り始める。

 俵山温泉、砂利ヶ峠(じゃりがたお)を通過。川の音、小動物のくぐもった声など、夜の音が心地よい。

 80kmを過ぎても走れたので、ここでのリタイアは無しにする。海湧(うみわき)食堂手前から空が明るくなる(5時)。俵島を1周(100km)する頃から新緑の香りが強くなってくる。幾重にも目の前に姿を見せる山襞の表面の、淡い新緑がそこここを彩る。暑くはないが、眩しい。立石観音、千畳敷(125km)を過ぎ、日置(へき)中学校の生徒らの応援エイドステーションに辿り着く(12時)。

 この日置の女の子たちのエイドが楽しい。ランナーひとりひとりにコスモスの種とお菓子を手渡し、目の前で、名前を呼びながら、歌うように応援してくれる。これは力になった。

 仙崎へ。向かう途中、相前後して走っていたカップルからリポビタンDを頂く。有難い。潮の匂いが強い。青海島(おおみじま)が左に鮮やかに見える。これからあの島に向かう。

 午後2時に金子みすず縁の仙崎(142km)に到着。青海島の鯨墓(152km)までを往復した頃から痛みが増強する。午後8時に宗頭(むねとう:175km)文化センターに到着、軽食と仮眠を取り、9時に出発。あと75kmを21時間で歩けばゴールできる、と計算する。

 ここからが正念場だった。

 1時間休憩したからか、なかなか走れない。鎖峠を越え、三見駅を越えても歩き続ける。踏み切りを6度渡る曲がりくねった細い道を、ヘッドランプの明りだけを頼りに進む。そして、4日午前1時、玉江駅(195km)手前で、左膝裏と両足裏の痛みのため、完全に脚が止まった。これでは歩き続けることもできない。玉江駅に着いたらリタイアし、朝になったら交通機関を使って山口まで帰ろうと決める。

 と、ここで2人のベテランランナーに声をかけられる。

 1人目は、「何か食べるものはある?」 と訊きながら、痛み止め(ロキソニン)をくれた。「左膝の裏? たぶんこれである程度痛みがひくと思うから、そこからがんばって!」

 痛み止めを携帯して走る人はどれほどいるのだろう? 連れのランナーも、痛みは回復することもあるからと、元気付けてくれた。

 そしてもう1人。「玉江駅に着いたら、スタッフの人がいて、仮眠を取れる場所があるから、そこで一眠りしてから、再スタートしたら良い」。さらに、「よく1人で走っているね」とも。

 これで、リタイアできなくなった。

 実際、玉江駅で仮眠を取ってからは、ロキソニンも利いてきたのか、痛みも和らいだので、ゆっくりだが走れるようになった。ただ、この玉江駅で、左膝が少ししか曲がらなくなっていることに気づいた。後でわかったことだが、膝を含め左下肢が腫上がっていた。

 原因は、おそらくサポーターによるリンパか何かの圧迫によって、体液の還流が左下腿で滞ったことによる。

 午前2時40分、玉江駅をスタート(ゴールまで55km、15時間半)。

 笠山の暗く曲がりくねった道を走る。椿館(205地点の食堂)で、スタッフに「なかなか辿り着けない道ですね~」と話すと、「女の子は怖いと言いますね」と。この大会にはこんな道が多い。同じ風景が繰り返すような、あれ、さっきも通ったんじゃない? と感じるような道ばかり。疲れているせいもあるのだろう。ここで生卵入りカレーを食べて、歩きながら出発。

 最後のチェックポイント東光寺(215km)を午前6時ちょうどに通過。

 私の歩いている姿を見て、萩市民の方が、犬(ミニチュアダックスフンド)の散歩の途中、念を込め、私の膝をさすってくれた。よくなりますようにと。感謝。

 明木市(あきらぎいち:225km)を通過。しかし、ここからはもう全く走れない。相前後して走って(歩いて)いた女の子は「ぼろぼろです」。一升谷で一休みしていると、歩け歩けの部の方から自家製のお茶のペットボトルを頂く。

 午後12時半、佐々並(235km)に到着。残り15kmを5時間半で歩けるか? 普通に歩けば問題のない残り時間と考えられる。「ゆっくり歩いてもゴールできますよ」と声をかけくれた人もいた。

 しかし、次第に歩けなくなる。でもここまできたらゴールするしかないので、ひたすら歩く。歩くランナーにも次々に追い越される。板堂峠で、私のために木の棒を探し、杖にしてくださいと差出してくれた人がいた。ありがたい! なんという人だろう。

 「頑張って!」 と声を掛けてくれる人もある。「ゆっくりでいいですよ、マイペースで!」とアドバイスしてくれる人もある。後者の言い方が、どれほど有難いことか。

 4時をまわり、雨がパラパラと降りはじめる。木の葉の間を縫って、水の粒がきらきらと零れて来て、つづら折れの石畳を濡らしてゆく。癒しの雨かも。

 午後5時半をまわり、ようやくゴール。多くの人に助けられた大会だった。

 次回は、最善の準備をしよう。

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