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母なるもの

 廣瀬喜美子(1978).臨床看護の心を求めて.現代社.より、シュヴィング『精神病者の魂への道』の引用文。

 〈母なるものの本質を熟考することが必要と思われる。その主要な特徴は、相手の身になって感ずる能力、他の人の必要とするものを直感的に把握すること、そしていつも準備して控えていること、あるいはフェーデルン博士が公式化したように、『自分自身の運命と同様に他の人の運命を大切にすること』ではないだろうか。しかし私たちは次のように区別してみよう。

 すなわち、母なるものと母性愛とは同一ではない。母なるものとは、根源的な母なる性から発し、そして女性の献身への準備性から生ずる昇華の産物である。それは自我リビドを対象リビドにほとんど完全に変換することによって『われ』を『なんじ』のなかに開いてゆくことを志向する〉

 私が、介助を通して身に付ける必要があるのは、この意味での「母なるもの」だと自覚する。

 さらに廣瀬さんの文を前掲書より引用。

 〈看護は患者さんに接する時間の長短や、難易によって左右されるものではなく、その患者とナースが向かい合ったそのときに流れ合うもの、そしてそこに生まれる、ひとときのふれ合いを、おたがいに感知することによって成り立っていくものでありましょう〉

 おたがいに感知されるふれ合いを大切にすること、そこから介助はスタートする。

 それが何であるかは、そこにいて、それを見つめ、深く感じ考えることにより、徐々にわかっていく気がする。

 汲むこと、掬うこと。

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コメント

昨日、年賀落掌。これからブログじっくり読ませてもらいます。ありがとう!

兎谷の黒猫さん、ありがとうございます!

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