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2008年10月

赤と黒 le Rouge et le Noir

 ジュリアン・ソレルは自らの意思で生きたのではなかった。

 下劣な人々を嫌う、嘘(虚偽)を嫌う、何より人に軽蔑されることを嫌う。

 彼は「義務」という言い方をした。何かに突き動かされて生きていた。彼自身はまた「野心」とも呼んでいたが、本当は、〈何かによって〉としか言いようがなかっただろう。

 時々、人々に「何かしら怖い人」という印象を与えた。おそらくは死を恐れていず、自らの意思を超えた何かにより、生きていたから。

 誰だってそうかもしれない、とも思う。

 いや、誰でもジュリアン・ソレルのように生きたら、この世はこの世の体をなさないだろう。だからこそ死刑に処せられたのだとも言える。

 この世に生きにくい、そのような系譜の一人である。ヘッセ『車輪の下』の主人公もそうだった。私は、なぜか、そのような魂に惹かれる。

 スタンダールの作品を初めて読んだが、こんなに素晴らしい作品を書く人だとは知らなかった。他の作品も読んでみよう。

解夏(げげ)

 昔、僧たちは雨季の始まるころ(5月下旬)から、修行場に籠り、雨季が終わるまでの約3ヶ月間、安居(あんご)の修行に明け暮れたという。修行の始まりを結夏(けつげ)、終わりを解夏(げげ)と言う。その修行の場が、寺になったのだという。

 ベーチェット病(失明に至る難病)と診断された主人公は、その修行のことを寺の人から聞かされ、今が5月の終わりだということ、おそらく3ヶ月後には失明するだろうこと、その3ヶ月間は精神的、身体的痛みに耐え続けることになるだろうこと、それと安居の修行の時期との不意の一致に、失明に至るまでの苦しみを、修行に重ねようとする。

 絶え間なく訪れる不安感、目の痛み、それでもこの世の風景を記憶に留めようと努力する。

 石段を上ることさえ出来ないとき、恋人の献身に対する感謝が、時には、いたたまれなさへと変わる。

 生きていることの意味が揺れ動く。

 見えなくなるとき、訪れるのは闇ではなく、白い霧のようなものだと聞かされる。

 寺に咲く、白い百日紅(さるすべり)に、愛着を覚える。

 長崎の美しい風景が印象的な、映画である。

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