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2008年7月

社会福祉原論――「自助」について

 恤救規則から福祉3法までの成立過程を見ていく。その中で、理念について考えてみたい。とくに、理念の内、あるいは背後にある「自助」という発想に言及してみたい。社会福祉では「自立」「自立支援」という言葉がよく使われる。そう言うときの「自立」は何を指しているか、自己決定、契約における「自らの責任」は何を意味するか、それらについて考える契機にもなると考えるからである。

 なお、以下の(引用分も含めての)記述は、右田紀久恵ら『社会福祉の歴史〔新版〕』有斐閣(2001)、菊池正治ら『日本社会福祉の歴史』ミネルヴァ書房(2003)の2冊を参照してのものである。

 

1.戦前

 「恤救規則」(1874)は、貧困者の救済が「人民相互ノ情宜ニ因テ」行われるべきことを強調し、そのうえで高齢、児童、病気、障害などで労働できず、身寄りのない者を「無告の窮民」として救済した。天皇による国民の統合(中央集権)のための慈恵的救貧政策であり、私的(相互)扶助から零れ落ちた人々を対象としたきわめて限定的なものであった。殖産興業のための安価な労働力は足りていたので、あえて救済の対象を広げる必要はなかった。惰眠観もあった。それは効果のあるものではなく、貧窮状態の人はますます増加していった。

 「人民相互ノ情宜ニ因テ」為されるべきなのはなぜか。それは、それまでも(五人組制度のように)為されてきたのではなかったか。なぜ改めて強調されるか。新しい政府にとって、国家を統合していくことが必要だった。そのためには、自立・自助を体現しうる強い精神を持った人民が必要だった。それで、救貧も人民自身において為されるべきものであった。それは、理想的である。だが理想主義というより、むしろ国家の責任を回避しただけのように感じられる。また「自助」は、イギリス「新救貧法」(1834)においても要請されており、「資本主義の内的要請」「資本主義の精神の顕現化としての勤勉さ・自立性の要請」によるものと考えられていた。しかし、その資本主義自体は次第に矛盾を現わしてくる。

 制限的な法制、相互自助では対処できない貧民の増大に対し、宗教者や、石井十次をはじめとする篤志家によって慈善事業が始められた。しかし、それらは政府による「感化救済事業」へと統合され、改めて隣保相扶の情宜、自己解決能力の涵養が鼓吹されるようになっていった。第一次世界大戦後、1920年から「慈善救済事業」は「社会事業」となった。「社会連帯」という考え方が登場し、社会連帯=相互努力が唱えられた。社会制度が見直され、事業は専門的、科学的実践へと発展しつつあった。背景には、大量の失業人口が慢性的に存在したことが挙げられる。それは個人の責任によるのではなく、資本主義体制に内在する矛盾の露呈と考えられるようになり、国の責任において「公的扶助」を行わざるをえなくなった。1929年に制定、1932年に実施された「救護法」は救護範囲を拡大した(65歳以上の老衰者、13歳以下の幼者、妊産婦、傷病あるいは心身障害のため労務に服することができない貧困者)。生活、医療、助産、生業、葬祭扶助がその内容であった。ただ、被救護者から選挙権が剥奪されるなど、制限も多くあった。それまで民間の社会奉仕活動家であった方面委員は社会事業行政の機構に組み入れられ、民間施設は国によって管理、統制されるようになった。国家による組織化が進んだ。

 

2.福祉3法成立

 社会事業は国家権力による弾圧の中で戦時体制に吸収され、変質あるいは廃止されていった。戦争において「人的資源」は不可欠であった。そのための「厚生事業」が実施された。救護法改正(1937)、母子保護法(1937)、軍事扶助法(1937)、医療救護法(1941)、戦時災害保護法(1942)はその一環であった。

 戦後、GHQは第一に日本軍国主義の解体、その温床の除去を目的とした。日本は旧秩序の組織(全国方面委員等)を利用した体制をつくろうとしたが、受け入れられなかった。GHQはさらに「社会救済(SCAPIN777)」を政府に提示し、無差別平等、政府責任の明確化、最低生活の維持、さらに軍人恩給の停止を指示した。とくに「政府責任の明確化」は、戦前の社会事業の官民一体の体質に触れるものだった。GHQによる指令、指導、助言、承認を経て、「旧生活保護法」(1946)は制定された。救護法と同じく、生活、医療、助産、生業、葬祭扶助をその内容とした。ただ、保護請求権などの権利規定を欠き、保護対象の不適格者の規定もあった。それに、保護行政における民生委員の補助的役割の継続は、責任の所在を不明確にした。さらに、戦災引揚孤児と浮浪児に対する保護を主な目的とし、戦前の「児童虐待防止法」(1933)や「少年教護法」(1933)などの改編内容も合わせて「児童福祉法」(1947)が制定され、傷痍軍人対策を身体障害者一般に及ぼして作成された「身体障害者福祉法」(1949)が制定された。

 その後、GHQの「体制整備のための6原則」、公私責任分離による行政上の混乱を経て、旧生活保護法を改正した「生活保護法」(1950)が制定された。教育、住宅扶助が追加され、実施に当たっては社会福祉主事が置かれ、民生委員はそれに協力する立場となった。

 

3.「自助」とは何か

 貧窮者に対し、明治の初めは、共同体内部での私的自助が、資本主義成立のために要請された。その後、不況と慢性化する貧困(資本主義体制自体の限界)ゆえに、社会全体の責任における相互(人民と国家)の自助努力が要請されるようになった。しかしこれらの「自助」は、要請されたものであるゆえに、「自助」とは言えない。「自助」とは内発の欲求である。方面委員の「隣保相扶にのっとった互助救済」「犠牲的精神の高揚」なるものは内発ではない。「資本主義の精神の顕現化としての勤勉さ・自立性」にしても、それを強調すること自体に資本主義の限界が現われている。「自助」は、戦前において徐々に形作られていた「慈善事業」「社会事業」の展開のうちに、その萌芽があったのかもしれない。たとえば自らの生活をかけて立ち上がった無産者運動。生活の困窮に即した運動であったようだ。「即する」というのが内発である、貧窮そのものを汲むことである。組織が、自身に顕在・潜在する問題を解決していこうとすること、その自己実現の欲求が、組織にとっての「自助」である。そういう認識が、たとえば仏教思想から発想した渡辺海旭の救済事業思想、海野幸徳、山口正らの社会事業研究、あるいは唯物弁証法的社会事業論にはあったのだろうか。

 

 内発の「自助」について考えているうちに、最初に述べた「自立」は「自助」と同じだと思うようになった。「自己決定」における「自らの責任」についてはこれから考えていきたいが、その「責任」においても都合の良い言い方のように感じている。果たして「自己決定」はありうるのかという疑問もある。また、「社会福祉基礎構造改革について(中間まとめ)」(1998年6月)の「改革の理念」には、「社会福祉の基礎となるのは、他人を思いやり、お互いを支え、助け合おうとする精神である」「社会連帯の考え方に立った支援を行い」との記述が見られる。戦前からの「隣保相扶」と変わらない。私は、おかしい、と感じる。

 戦前の社会事業についても、もっと調べてみたい。

 

 (2005.5.27)

異和に浴し――ボードレール『小散文詩集』を読んで

 〈私は、あなたが神を厭うのと同じように、金を厭う〉

 

 〈私〉なる〈謎めいた人〉とは詩人の魂。〈あなた〉とは世間、時代(現代)。

 直後、〈私〉は〈あそこを過ぎゆく不思議な雲〉が好きだと言う。

 詩人の魂――それは何だろう?

 

 詩人は不思議を愛する。

 思考は、と言うべきだろうか。

 

 彼は、〈あなた〉なる異和に浴する。

 しかも、〈あなた〉に対してだけではない、自身がいまここにあることの異和に浴しつつ、視線(思考)を巡らす。群衆の中に、共感し得る視線を求めて。

 時々はそれを見出す。そのほとんどは貧しき者たち、空の手で生きる者たちの中に。

 

 共感し得るものを探そうとするのは、おそらく無限への憧れから。そのように欲望するそれ、彼とは?

 詩人の魂と言ったが、やはり「思考」と呼ぶことにしよう。

 

 思考に見出された幾つかの不思議に寄り添おう。

 

 〈バッコスの杖〉は、直線(理性)が曲線文様(感情)を纏う形姿として描き出される。己れの象徴。

 

 〈豊かな髪の波のまにまに浮かぶ半球〉は生命=エロスを想起させる。それは心に絶えず蠢く物、生成の在りか。

 

 〈人の良い悪魔〉の語りの中に、彼は、魂を奪われるような共感と、与えられるだけの幸福への異和とを見出す。

 

 〈骨肉の争いをする二人の子供〉の振舞は、彼自身の葛藤、逡巡を表す。〈嬰をあやせない老婆の顔の襞〉も然り。

 

 〈母性愛〉による行動と見えたものが、実は欲得の振舞であるとわかった時、彼のうちに閃く一筋の光と、そこに広がる闇=余白。

 

 〈彼女は醜い、だが魅力的だ〉

 〈時〉と〈愛〉が彼女を苛んだのかもしれないが、、いつだって魅力的だ、そういう彼女の美を理解し得るのは、彼もまたその美を内にもっているからである。

 その美とは、生命のもつ、無限への欲求に突き動かされた衝動である、と私は考える。同時に、その彼女とは何かと、さらに内心に問いかけたくなる。それは一体どこの誰を、何の観念を、魂を指しているのかと。(私は一例として『レ・ミゼラブル』のファンティーヌを想起する)

 

 〈酔いなさい〉と彼は言う。

 〈殉教の苦しみに耐えられるよう〉、〈時の無限の重みにうちひしがれないためにも〉、〈あなたのすきなように〉と。

 酔うとは、実際に酒に酔うのでもいいし、詩を書くのでもいいのだが、いずれにせよ、悟性の恣意から解放されるよう、読者に促している。現代という世界があまりに人間の恣意の儘に、ぎくしゃくと動いているを感じてのことと、私は考える。

 異和にあって、絶望を意識した時、遍在するはずの未来、あるいは根源への何者かの眼差しを感じたい時、酔い、思念を漂わせる。そこに何かを見出そうとの意図もなく。

 彼の思考は〈旅への誘い〉を語る。それは実際の東方異国への漂泊の想いなのかもしれないが、本質的には精神的、内的な風景への旅、〈夢想〉である。〈酔う〉一つの方法である。

 過剰なるものは余白に促され、語る、己れの搖蕩の儘に。

 

 思考、と言った。

 〈芸術家の告白の祈り〉にて彼は言う。

 〈これらのすべては私によって思考する、あるいは、私はこれらによって思考する(というのも、夢想の壮大さにおいては自我はすぐに消えるからだ!)。これらは思考する、音楽的に、絵画的に。推論なしに、三段論法も演繹法もなしに〉

 彼の、私の言う思考とは、そのような、生命の律動をいう。

 雀が鳴く、窓枠に顔を覗かせる、犬が吼える、尾を振る、それが彼らの折々の思考なのだ。何ゆえの? 自身の無限を感じたいためである、無意識の、繰り返される生命の営みのうちに。

 いわゆる人の思考とて、無意識に行われているはずである。そのように考えようとの意図をもって考えているわけではない。彼、彼女は思考の対象により思考し、閃きを待つ、それが言葉にやって来る瞬間、生の充実を感じる、それを実在感と言うこともできよう、その瞬間のときめきを詩情と呼ぶこともできよう。

 

 〈詩人は、意のままに自分自身であり他者であることができるという、無類の特性を享受する〉

 自分自身、私とは何か? とらえようもない。「一個の他者」と言われもする。

 他者に浴し、異和に浴し、自己は遍在する。

 

 〈秋の夕暮れの何と心に沁みることか!〉

 何にでも感応したがる思考は、自然を前に、その律動を身に感じ、絶句するばかりだ。

 

 〈時折、この世の幸福な人びとに、一瞬彼らの思い上がりに屈辱感を与えることになるとしても、より広大で洗練された幸福があるのだと、知らせてやるのも良いことだ〉

 芸術家の確信は、戦禍にあってなお生きる喜びを供応する人びとののうちにもあるだろう。あるいは、「物質的豊かさが真の豊かさではない」と直感する者の視線の先にも、「私は小さいものが好きだ」と語る人の、挑発に似た口籠りのうちにも。

 

 〈迸る〉と彼は何度も口にする。

 迸りにより生まれた〈私〉たち、心は、なお迸りを欲する。夕日に輝く雲までも。それが無への前奏に過ぎないとしても、いつまでも無限を欲求している。仮に「有限なる宇宙は膨張している」とするなら、それは無限を欲しているのであり、無限を欲する動きに在って、それは無限である。

 

 あるいは、某に倣い、「蠅を叩きつぶしたところで蠅の『物そのもの』は死にはしない、単に蠅の現象をつぶしたばかりだ」と心の中で言ってみる。

 〈すると突然、――おお、奇跡だ! おお、自分の理論の見事さを目にする哲学者の喜びだ! 私はその老いさらばえた肉体が向き直り、起き上がるのを見た〉

 それは内心に蠢く、思考(夢想)の力だ。

 

 無意識の、否定を通しての、無限への欲求、それが形象を伴ったものが〈夢〉だ。いま在る自己を乗り越えようとする、その、乗り越えそのもの、である。

 夢は動いている、絶え間なく、夜に見る夢でさえ、乗り越えられるべき異和の端的な形として現れる。

 何ゆえに彼は〈酩酊〉を勧めたか。

 

 先日、《子供たちの現在》と題する、ある研究会に参加した。そこである学校教師は、「学校というのは長い歴史的視野で見れば、本来なくても良いものだ」と言い、別の教師は「学校教員であるおまえの立場はどうなるのだ」と言った。私は何も言わなかったが、思うに、教師である彼自身が、自己の立場に内在する矛盾を自覚することが、何より大切であろう。

 現実の異和に浴する、そのこと自体が酩酊である。異和を見つめ、行動する、そこで彼が教師をやめてしまったら、言行一致ではあろう、が、それは思考の搖蕩に身を委ねることではなく、不完全な恣意の側に身を売ることに過ぎないのではないか。

 

 あるいは、信仰とは問いである。

 自らの信仰に疑念を抱く、しかしその者は、すでに、彼のなかの別の次元で、新たな信仰をスタートさせているはずである。より彼なりの、信ずべきものを求めて。

 何ゆえに思考は不思議を愛するか――。

 多くの宗教で自殺が重罪とされるのは、それが問い(思考)の放棄だからだろう。

 在るとは思考である。自殺してはいけない、のではなく、より正しくは、自殺はあり得ない。

 思考は、必然的に、酩酊を欲する。

 無私なる祈りは、私たち、心=生命そのもの、の為。

 

 世界を覆う感性の触手の先に、枝々に生まれる蕾みのように、思考が生滅する、そこここに。

 ボードレール、そしてその後継であるマラルメ、プルーストの散文を読めば、私は限りない暖かさのようなものを感じる、それは彼らの理性によるのだろう。また、その前走者、ユゴーの詩を読めば涙する、なぜだろう、どこから生まれて来るのだろう、この愛おしさは…。

 

 私に詩が書けるのか、と常に自問している。同時に、それはどうでもよいこと、といつも結論する、私は志のうちに存在しているのではなく、全き非限定の揺蕩のうちにある、その揺れそのものである。志は、あるとすれば、揺れに内在する。

 以前ある文筆家が私に語ってくれた、『善く生きるためには生きていなければならない…』という言葉について、私はずっと考えている。

 現実に浴する、群衆に浴する、それは「揺蕩」が、つねにそこに在るから、であはる。成就されるべきものとして、すでに成就されたものとして。

 

 (引用文は、拙訳です)

 (1998.6)

 

 

 

生の意味と心の動き――トルストイ『イワン・イリッチの死』を読んで

    1

 

 私がこの本を読んだのは、同じ作者の『幼年時代』(文壇デビュー作)を読んで、全編にわたる思いの溌剌さ、感性のみずみずしさにひかれたからだ。

 しかしどうだろう、この重さは。行間にある空気が静かなのだ。

 なぜか?

 たぶん、テーマ(生の意味)のせいだ。

 でもなぜこのようなテーマを描いたのだろう。

 たぶん、死を考えずに生きている人々、それも最高の地位にあると自覚している人々の生を見ていて、なにかやりきれないものを感じていたからだろう、と私は勝手に想像する。感じていた、そう、ずーっと、作者は感じていたのだ。『幼年時代』を書く以前から(ちなみに『幼年時代』が書かれたのが作者24歳のとき、『イワン・イリッチの死』はその30年後である)。

 

 『幼年時代』は「わたし」の敬愛する二人の女性の死で終わる。二人とも信仰をもち、無垢で純粋な自己犠牲によるキリスト的愛を体現した女性だった、それで、死の恐怖などなかった。

 一方、イワン・イリッチは栄達と地位と、それによる生活の快適さを体現した人物だった。それゆえ彼にとって不意におそってきた病気による死は恐怖であり、苦しみそのものであった。

 イワン・イリッチの夫人は物語の冒頭部分で次のように証言する。

 

 《ええ、それはもう恐ろしいくらい! 臨終の前なんか幾分間どころか、幾時間も幾時間も、のべつわめきどおしでした。三昼夜というもの、ひっきりなしにうなっていましたわ。それはもうたまりませんでした》 (引用は岩波文庫版から)

 

 にもかかわらず、彼は死を受容した!

 死の一か月前、彼は自身に問いかけるようになる。

 

 《いったいお前は何が必要なのだ? 何がほしいというのだ? …… 何が?――苦しまないことだ。生きることだ …… 生きる? どう生きるのだ?》

 

 それから徐々に、身体と精神の痛みのなかで、追憶に生きるようになり、そして死の直前に、気づく。 夫人の語ったあの三日間、彼は自問を続け、ついに苦しみの原因をつきとめるのである。

  

 《すると、とつぜん、はっきりわかった――今まで彼を悩まして、彼の体から出ていこうとしなかったものが、一時にすっかり出ていくのであった。…… 死とはなんだ? 恐怖はまるでなかった。なぜなら死がなかったからである》

 

 結果的に、彼は『幼年時代』の二人の女性と同じような境地に達する。この凡庸で卑俗な男でさえも! しかし考えてみれば、まさにそのことが作者のいいたかったことなのだろう。凡俗な、信仰に篤くない男でも悟るのだと。

 死は彼に、生きることの意味について考える機会を与えてくれた。イワン・イリッチの死とは、そのような死であった!

 

    2

 

 ところで、私はいぜん、物語全体に漂うトーンの静かさが気になっている。なお心にひっかかるのである。なぜトルストイはこのようなテーマを描いたのだろうと。

 少し遠回りだが、おそらくこの物語のテーマに直接関係のない、しかし私の最も気になった一文を引用し、もうちょっと模索してみる。

 

 《社会で最高の位置を占めている人々が善と見なしていることに、反対してみようとするきわめて微かな心の動き、彼がいつもすぐに自分で追いのけ、追いのけしていたあるかなきかのかすかな心の動き――これこそ本当の生活なので、そのほかのものはすべて間違いかもしれない、こうした考えが彼の心のに浮かんだのである》

 

 「社会で最高の地位を占めている人々」とは当時の貴族階級、栄達の人々である。イワン・イリッチはその人々の生に同調しようとし、成功もした。人々が善と見なしていたのは、快活、機知、洗練された趣味である。

 「きわめて微かな心の動き」が「本当の生」であるとの考えが彼の心に浮かんだのは、幼年期を回想し、そのころの生の感触を想起してのことである。

 「きわめて微かな」「あるかなきかの」というのは、彼の回想が不十分なためではもちろんなく、「心の動き」が日常にかくされていたからである。

 ここで再び、私は『幼年時代』を想起するのだが、あの文体の持つみずみずしさは、自分自身への問いかけに貫かれていたからこそなのだろう。それは「本当の生とは」という問いではなかったか? 『幼年時代』の最後の数行を引用する。

 

 《ときには無言のまま、礼拝堂と黒い柵の間に立ちどまってみることもある。心の内にふいに数数のつらい思い出がよみがえってくる。神がわたしをこの二人の人に結びつけたのは、はたして永遠にこの二人のことを悼ませるためだけだったのだろうかと、そんな思いがうかんでくるのだ……》 (『幼年時代』の引用は新潮文庫版から)

 

 「そんな思い」とは何か。ちょっと前の文も引用する。

 

 《彼女は何の未練もなくこの世を去り、死を恐れず、むしろ幸福として迎えた。これはしばしば言われることだが、実際にはめったにないことだ! ナターリヤ・サーヴィシナが死を恐れずにいられたのは、揺るがぬ信仰をいだき、福音書の掟を実行して死んだからである。彼女の全生涯が、無欲な純粋の愛と自己犠牲であった》

 

 初めてここを読んだとき、なぜ「揺るがぬ信仰」を肯定するのか、ふしぎに思った。そして数行後の「そんな思いがうかんでくるのだ……」を読んでふいに考えこんだ。そうだ、「わたし」は揺るがぬ信仰を肯定していたのではなく、ナターリヤ・サーヴィシナの生を肯定していたのだ。彼女は善良な人間で、信じなければならないものを信じて生きた、その無垢な心性を肯定したかったのだ。とどうじに、そのように述べる自身の言葉の後ろから何かしら零れおちるものを感じる、それは何か? 生きることの意味、だったのではないか?

 信仰は、つきつめれば、必ず揺らぐ。神は在りや無しや…、神とは…、それでも人が信仰を抱くのは、それが存在への問いだからだろう。生とは何か、なぜこの世は在るのか、そのように問うたとき、この宇宙の全存在を貫く思考、神なるものを置く。信仰とは、それを心に感じたいという願い、なのだろう。

 「神がわたしをこの二人の死に結びつけたのは、…二人のことを悼ませるためだけ」ではなく、生の意味について思考させるため、であったのだろう。

 私は実際のトルストイの信仰を知らない。だから好き勝手に言えるのかもしれない。が、作者は自身の心の動きのふしぎに端を発し、問いを重ね、その「心の動き」こそが生なのだと気づき、読者に生とは何かを、問いかけようとした、問いを共有したかったのではないだろうか。そのためにも、主人公イワン・イリッチは凡俗な男でなければならなかった!

 

    3

 

 心の動きとは。

 

 《もしおれもカイウスと同じように死ななければならぬとすれば、おれはそのことをちゃんと知っているべきはずだ。内部の声がおれにそう言って聞かせるべきはずだ》 (イワンの思考の一場面)

 

 「内部の声」とは、「音によって語られる声ではなく、彼の内部に湧き上がる思想の流れ――魂の声」(同場面)である。声は、彼に何かを教え示すというより、「本当に?」と問いかけることによって、回想を促す。この声が、心の動きが本当の生、という考えを彼の心に浮かび上がらせた。

 

 「動く」とは「反対してみようとする」ことだ。しかしそれは、意志して、反対するのではない。心は無意志的に動く。

 思考という「心の動き」をたんねんに見ると、それはつねに、「それは何か」「本当か」と問いを発している。そしてそのうちに何かを想起する。想起の瞬間、考えはどこからか不意にやってくる。問いが深められたものであればあるほど、考えは確信に至る。それは生の感覚のようだ。

 記憶を遡る際にも、印象を想起し、その印象とは何か、と問えば、おのずと別の何かを想起する。想起される印象の根源には何かしらあたたかな香気がある。

 

 「心の動き」は無意志による。だからこそ、そこに生の力強さが感じられるのだろう。

 あるいは、心の動きとは、自分が自分に嘘をつくことに対する、心の拒否反応ではないだろうか?

 人が過去を想起しようとするのは、自分の過去、つまり自分の現在のなかに、本当、を発見したいからではないだろうか(イワンが百姓のゲラーシムを好いたのは彼に嘘がないからだった)。

 さらに、たとえば戦いは、心に抱く後悔や葛藤に似ていないだろうか。なぜあえて戦うのか、生存や信念、ようするに保身のためだけでなく、本当は、戦いは自身のうちに何を見出そうとしているのか(イワンの苦悩とは「本当」を見出すためだった)。不毛であるとわかっていながら部下を鼓吹し行軍を続けた指揮官の思いとはどのようなものだったろうか。そうせざるをえなかったことへの疑念を胸に秘めつつ、そこに何を見、何を感じていたのか(苦悩という行軍とは?)

 

 「からだは食べものを必要とするけれど、心は夢が欲しいんだ」、とは『天国の約束』(ジェームズ・フォーリー監督)で、主人公の少年ジェンナーロの祖父(アル・パチーノ扮する)が死の直前に少年に語る言葉である。心は夢が欲しい。そんな気がする。でも「夢」とは?

 心は自身の先行する考えに問いかけ、それに反対しようとする、ということは、夢とは先行する考えの否定のうちに浮かび上がる何かであり、「将来の夢」といった語り口の先にあるものではないのだろう。またそれ(否定)ゆえにこそ、夢は無限であるといえるのだろう。

 めくるめく否定のうちに本当を求め彷徨う人々の営為を「夢物語」と呼べるとすれば、いったいこの現実は誰の「夢物語」なのだろうか? 誰の、とは言えないのかもしれない、夢物語はただここにあるばかりだ。

 

 ……とここまで書きながら、私は幾つかの物語について想起する。プルーストが『失われた時を求めて』で、死を前にして細心に「真の実在」を再現し続けたのはなぜか。カフカ『城』の人々の動きは、なぜ意想外であろうとしたのか、あたかも彼らの振舞そのものが無意志の心の動きであるであるかのように。ロート『聖なる酔っぱらいの伝説』のアンドレアスは、なぜ死の直前に天使のような少女テレーズに偶然出合ったのか(天使とは気づきなのか?)、あるかなきかの出合いが成就しえなかったのは、心の動きのもつ否定性によるのか……いまのところの私にはわからない。わからないけれど、文学とは、無意志であるゆえに捕捉しきれない、無限を感じようとして自身に問い続けているような「心の動き」を、何とか表象しようとすることなのだろうと、思えてくる。

(1998.2.14)

 

 

 

 

 

ひらり ふわり

淡桃色の花びらが舗道に舞い降りる

風に流され

雨に打たれ

それはどこへ行くのだろう

 

「おかあさん」

笑う幼子の

髪にふり

頬にはりつく

 

いままで木に在り

数週間前まではこの世に現れていなかった

おまえも

遠い過去の記憶を

宿しているのだろうか

 

ひらり

ふわり

どこまでも

どこまでも

 

そしていつか祖母の笑顔に

 

おまえはなぜ

そんなに暖かく

そんなに冷たいのか

 

(1998.4.18)

完全変態

幼時の記憶を腹の先に満たす

たしかめて

 

葉脈のしこり

陰の敵 光の力

揺れる視像

 

腹から胸へ

促しのままに

触覚の先っぽへ

 

飛翔を夢見たりはしない

むしろ遡る

思い出せない季節の香気に触れようとして

 

(1998.2.6)

ふり返り

思ったことを口にする執心がなく

時が敷居をまたいでから後悔をする

ふいに口を開くと

傷つけてしまう

ふり返り

しばし外壁を見やる

 

自らの生のためにひとの死を待つ

心性に異和を覚える

――生きるとはなんですか

しかしわが身さえ

そのような営みにおいて在るではないか

 

直截のことばが

適切なナイフであるためには

刃の感触を確かめておかねばならない

内心にあてて

ふかく

さらにふかく

みずからをきりさくところまで

 

(1998.1.21)

山里

鄙びたバス停から二十分ほど坂道を上ったところに在る

養蜂と蜜柑栽培の農家の 踏み固められた土間 の炊事場から

微かにトリの声が聞こえた

 

すぐ近くの 杜の前の広間では

子供たちが数人

鳳仙花の花びらをすり潰していた

 

一人の少年はそれを自分の手の爪に指の腹でぬった

仄かに 朱い花びらの滓の匂いがした とき

彼は

傾きそめた日の 光のとどかない背後の森の影に

鳥たちのささやきを聞いた

 

日の暮れるころ 丘の中腹

祖霊の安寧石の前に 彼は線香をささげた

肖像写真でしか知らない 母の母のつれあいの小さな姿態 を頭で描きつつ

母の母の 土の薫りのする声を間近に感じながら

その瞳の奥に在る 昔日の夢を想いながら

 

日が暮れて

母の弟の嫁の 明るい蜜柑色の笑顔に促されて

座敷に並べられた膳のひとつ

いとこたちの声の間に 彼は席をとった

 

とろける白い根菜は 蜜蜂の匂いがした

シダ類の湿度の下に棲息する裸虫の息がかかっていた

 

人々を見下ろす先祖たちの肖像の向こうには

闇が在った

 

(1997.6.27)

問う

 引越しの荷物を整理していたら、詩作を始めた頃(10年前)の雑文が出てきた。詩のようなものが6つ、読書感想文が2つ、このブログに書き写してみる。

 

 問う

 

自己のうちにある普遍という鉱脈に至るために

掘り下げる すなわち問う

 

問いの持続は気づきを生む

気づきは問いを生む

必ず

 

問うゆえに在る

そう考える私は私なのか

すでに私を超えていないか

と問う私とは何か

 

神という思考の壁に書き込まれたひとの意識をなぞるために

近づいて 向き合って 手を伸ばす

 

救い の触感

癒し の詐術

救われるために信じ救われなかった人の声のかたち

信じればそこが終点

壁は続く

 

肉体を持った私は私なのか

ことのはじめからそのように

問いは付置されていた

 

いつまでも続く問いの連鎖のために

意思の 自己を生む生命活動のために

 

(1997.6.22)

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