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2008年3月

LOVE & FREE ~放浪しちゃえば?

 『LOVE & FREE ~放浪しちゃえば?』 文と写真:高橋歩,サンクチュアリ出版,2006

 著者の世界一周冒険旅行の記録である。

 写真が良い。

 旅の目的は人それぞれなのだろうが、その本質は発見である、と私は思っている。発見された風景と言葉、出会った人たち(特に子どもの顔)が描かれている。

 幾つかを拾ってみる。

 

 〈一緒にボートに乗ったカーネルサンダース風おじさんは、よっこらしょっとオレの隣に腰掛け、突然、質問を発した。

 「あんたのライフワークはなんだい?」〉

 〈ガンジスから贈られるさまざまな心象は、オレに、「人生の持ち時間」ってやつを意識させる〉

 〈自然のリズムに身体を任せきったとき、いつもココロの中から全身に広がっていく、この「透明な感情」はなんだろう?〉

 〈「自分らしい生き方?」 「ナチュラルな生き方?」 そんなの自分自身でわかるわけないじゃん?

 それぞれ、みんな。ただ、毎日の暮らしの中で、「自分が美しいと思う行い」を積み重ねていけばいいさ〉

 〈あなたにとって、本当に大切な人は誰ですか? あなたにとって、本当に大切なことは何ですか?〉

 発見されたことが記されているが、その過程は、あまり書いてない。たぶん、書く必要がなかったのだろう。

 自分の若い頃の旅行を思い出した。大学2年のとき、1ヵ月半のヨーロッパ一人旅を、夏と春に行った。その日記を、先輩たちが作っていた同人誌に載せてもらった。以来、旅行をしていない。その代わり、旅みたいな人生を送っている。

 この作者は何も主張してない。そこが良いと思う。ただ、テーマが「生き方」に収斂されているきらいがある。私なら、出会った対象について、対象の志向する何かについて書く。

 

エミリーへの手紙

 うつ病に苦しむ老人ハリーが、死の数年前から孫娘のエミリーに宛てて書いた詩と人生論とパズルが、離婚寸前の息子ボブとその妻ローラ、娘エミリーの家族を救った。

 大切なものは何か。

 「大切なものは目に見えないんだよ」(『ちいさな王子』のキツネさん)

 「本当の生とは、あるかなきかの心の動きだ」(イワン・イリッチ)

 大切なものを大切にする、育む、そういう生は尊い。大切にするのは、むろん自分のためではない(それは明らかだ)。

 大切な何かのために、私たちの人生がある。その何かに触れることの喜びが、私たちの心を柔らかくする。

 ハリーは、息子(とその家族)への愛に生きた。後悔を重ねながら、亡き妻に詫びながら。そのような生が、美しくないわけがない。人々の共感を呼ばないはずはない。

O.A.

 人ひとり通れるだけのコンクリートの狭い階段を上る。2階の奥の部屋と聞く。通路は傾いている、こんなところに人が住んでいるのだろうか? 奥までのすべての部屋は空室で、廃墟のよう。

 拒否傾向が強いと聞く。杖を振り回されるとも。だが、入って挨拶をすると、穏やかな方だった。

 O.A.氏、85歳、男性、認知症、足腰が弱り杖歩行、要介護3、生活保護を受けておられる。本名はK.T.子どもの頃、親と韓国から日本へ来たのだと仰る。

 お仕事は何をされていたんですか? ……

 質問をしても特に何も答えられない。忘れてしまって答えられないのか、答えたくないのか。あとでわかったことだが、言葉(観念)が思い浮かばないのだ。後日、金貸しをしていたと仰った。

 デイサービスに一度行かれたが、二度と行こうとされないらしい。近くに銭湯はあるが、行こうとされないと聞く。掃除、洗濯、買物、調理、清拭、排泄介助を行う。

 行くと必ず失禁(両方)しておられる。部屋の外に共同トイレがあり、間に合わないのか、トイレがあることを忘れられたのか。ポータブルを設置すると、ときどき利用されるようになった。

 ご本人から直接現金を預かり、近くのスーパーで買い物をする。鮪の刺身、鰻が好きだとのこと。これも、他に思いつかないから、という可能性大。オジヤ、味噌汁、ブリ大根、レバー煮、思いつくものをあれこれ作ってみると、どれも食べられるが、嚥下がやや困難の様で、よく咽られる。嚥下しやすいものを作る。はじめはポータブルコンロのみだったが、電磁調理器を手配し、少し便利になる。冷蔵庫も、ご本人を説得して、一人用のを購入。

 畳替え、冷暖房機購入、少し快適になった。

 「長谷川式」判定のため(ケアマネージャー)、精神科に付き添ったことがある。私がタクシーを呼んで、途中でケアマネージャーを拾い、病院へ。「診察」が済んで、出てこられると機嫌が悪かった。わからない(答えられない)ことを聞かれるのが厭なのだ。ああいう(問答式の)評価スケールはどうかと、私は思う。言動をみればわかるではないか。

 大きな病院へ、MRIを受けにも行った。タクシーで(代金はいつも本人持ちである)。あの変なテクノ音によく我慢されたことだと思う。

 ある夕、箸の持ち方が変だと気付いた。指が思うように動かない。それで救急車を呼んだ。「脳血管がちょっと詰まっていた」らしい。しばらく入院された。「おむつ」をされていた。病院ではああいうのが便利なのだろう、世話する側にとって。見舞いに顔をのぞかせると、目を輝かされた。おとなしくなられている、と感じた。そうやって弱っていかれるのか? 病院へは行かないに越したことはない。

 今の部屋は居心地悪くないですか? ――いや、ここでいい。

 一緒に部屋探しに行ったこともあるが、乗り気ではなかった。

 ホームヘルパーの会社を辞める前、近くの銭湯に誘ってみた。私が一緒だから、安心だから、と。

 番台の人に訳を話し、私はTシャツで入る。脱衣、歩行介助、洗身、洗髪、そして浴槽へ。5分ほど浸かると、「もう上がろうか」と言われる。気持ちよかったですか? 等聞かなかった。番台の人からは「見たことのある人だけれど、ずいぶん弱られたねえ」と言われた。本人は「人目」を気にされたかもしれない。

 心を通わせることはできたか?

 何ともいえない。ただ、彼の笑顔が私の心に残った。

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