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2008年1月

Adieu, Mon Unique.

 アントワーヌ・オドゥアール作、長島良三訳『エロイーズとアベラール――三つの愛の物語』(角川書店,2003)を読んだ。

 12世紀フランス、比類なき神学者・哲学者のアベラールと、学識と才知溢れるエロイーズとの愛の書簡をもとに創作された物語。

 私はエロイーズの愛に興味を持った。

 17歳のとき、アベラール(39歳)の愛を受ける。二人の愛は伯父の激しい怒りに触れる。二人は結婚し、以来彼女は一貫して、神ではなくアベラールに従う。彼の意により修道女となり、長く離れて暮らし、彼の創設したパラクレ(慰めの意)修道院の院長になってからも、神に赦しを求めるのではなく、神を愛するのではなく、ただアベラールだけを愛した。

 人々の尊敬を集める一方で、内的にはかつての罪(姦淫)と肉欲により、苦痛、苦悩の日々を送る。

 アベラールも彼女を愛し続けた。離れていても、彼女の伯父の怒りにより去勢されても、愛に変わりはなかった。

 そのように二人は愛し合った。

 アベラールは死(63歳)の少し前に信仰告白をする。だが、エロイーズは神を愛さない、揺れることなく。その生の態度に、深く感動する。

 

 原題は、Adieu, mon unique. (さようなら、私のただ一人の人よ)

 物語の最後の一文である。

ちいさな王子

 サン=テグジュペリ作・野崎歓訳『ちいさな王子』(光文社古典文庫)を読んだ。

 別名『星の王子さま』。以下に感想を記す。

 訳本を読んだのは初めてである。以前から「星の王子さま」という題名に違和感を持っていたのだが、「ちいさな王子」、これで良いと思う。ちいさな友だちとの束の間の(あるいは永遠の)、出合い。

 

 読んでいて、小学校(低学年)時代の友人を思い出した。

 いつもいっしょにいた。学校の中庭の鉄ぼうにぶらさがりにいったり、花だんの世話をしたり、運動場を走りまわったり…。二人でいると落ちつく、言葉を交わさなくても気持ちは通じる、たがいが分身のような感覚だった。

 ある日から学校に来なくなる。先生から「○○くんは心臓の病気で入院されました」と聞く。あんなに元気に走りまわっていたのに! それから数ヵ月後に、死を知らされる。

 無口な子だった。私は彼に、私にはない、無垢な何かを感じていた。そして、今日に至るまで、ときどき彼のことを思い出すと、心が満ちてくるのがわかる、そのような存在なのである。

 この物語に出てくるキツネが、友だちになりたいという王子に言う、

 「なつかせてくれなきゃ」

 私たちは「なついて」いた、だから一方がいなくなっても、そのときは悲しかったけれど、いつまでもいっしょに居ることが可能になった。

 たしかに私の中に生きている、棲んでいる。

 キツネはこうも言う、

 「自分がなつかせた相手に対して、きみはいつまでも責任がある。きみはきみのバラに責任があるんだよ……」

 この言葉は説得力がある。人を何かにつなぎとめておこうとする、ありとある存在への思いを喚起する。

 「責任」とは、存在することしかできない存在が、存在することの困惑に立ちすくみ、そこから離れられない必然の力を感じてしまうこと。「愛着」と言ってもいい。

 数多の思いが「私」を形づくっている。それらの思いにどのように接し、見つめ、育んでいくか。

      *          *          *  

 私たちがいまここにあることの、その「いまここ」の無限が語られているのだと、私には感じられた。

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