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ガラス玉演戯2

 ガラス玉演戯名人ヨーゼフ・クネヒトの最期を読んだ時、「あの子に対して、私たちはもっと何かをしてあげなくてはいけなかったのでは…」という思いが再び浮かんで来た。

 ヨーゼフ・クネヒトの生き方に共鳴するのは、精神の理想の形が描かれているからである。物の考え方、すなわち人がらに、私は惹かれる。

 しかし、演戯名人となってからのクネヒトの内心には困惑が見られる。カスターリエン州に内在するある種の脆弱さに、彼がすっかり気づいてしまったから。

 だから、新たに課題を「踏み越え」なければならなくなった。

 

 〈およそ事の初めには不思議な力が宿っている。

 それがわれわれを守り、生きるよすがとなる〉

 

 困惑してなお、それを見つめ、そこから生きるよすがを見つけ、また歩き始める。その意思、その思考に、愛おしいものを感じる。同時に、「あの子に対して…」が浮かんで来た。

 〈何かをしてあげなくてはいけなかった〉

 それは、私たちの生き方への問いである。彼の思いを汲み、彼との対話に生きる。そこで感じられる〈彼〉とは、ヨーゼフ・クネヒトのことではなく、普遍化した魂のようなものだろう。

 その魂を生きることが、私たちの生となるだろう。

 

 『ガラス玉演戯』は、ドイツでは『車輪の下』『デミアン』より多く読まれたという。

 もう一度読んでみよう。

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