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ガラス玉演戯1

 ヘルマン・ヘッセ『ガラス玉演戯』(1943)を読んでいる。

 先日読んだ『タルコフスキー日記』に、この本は良いと書いてあったので、図書館で借りた。

 なるほど、良い、というより凄く心に入ってくる! これは何だろう? 

 

 〈…そういう本能的なはげしい愛憎を持つものは、取るに足らぬ魂の持ち主だということが、確実にわかる。実際、言いかえれば、大きな魂やすぐれた精神には、そういう情熱がないということになる。われわれひとりひとりは、一個の人間、一つの試み、一つの途上に過ぎないのだ。だが、みんなが完全なものの存するところへ向って途上にあるのでなければならない。周辺ではなく、中心に向って努力するのでなければならない…〉

 

 以前『車輪の下』を読んだときから、最後に主人公の少年の故郷の親方が言った、「あの子に対して、私たちはもっと何かをしてあげなければならなかった」という言葉が、私にずっと残っている。何かをしてあげる、その何かは、この『ガラス玉・・』の主人公ヨーゼフ・クネヒトには為されている感じがする。だから、(その思いを踏まえて)この作品は生まれたのかもしれない、とも思う。

 読み進むごとに、同感! としか言えない記述が続く。

 読み手の魂に語りかけている、そういう作品である。自らが浄化され、力を得る感じがする。

 まだ半分も読んでいないので、感想は次回に。

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