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ドグラ・マグラ

 夢野久作『ドグラ・マグラ』(1935)を読んだ。

 大変よい本であると思う。気持ちよく、楽しく読めた。以下に気になったことを記す。

 

1. 呉青秀は、美しい妻の死後の肉体を、白骨になる手前まで、6枚描き、その後も狂ったように死者の肉体を描こうとした。なぜか?

 どこにも無いはずの「死」を描きたかったのだろうか。しかし、無いものを描くのは不可能だ。描いているのは、ただの肉塊にすぎない。彼の精神はそこで破綻した。

 あるいは、獣性かとも思う。血に飢えた血が、そうさせたのかもしれない。闇に生まれ、何物とも知れぬ魂の、たまさかの絵筆の振舞は、消えぬ衣魚となって、後世に現れるようになった。

2. 〈心理遺伝〉はあり得るのか?

 正木博士の話を聞く限りでは、ありそうであるが。呉青秀の血をひく呉一郎が、呉青秀と同じことを繰り返すのは、〈絵巻物〉のせいであって、血のせいではないのではないか。同じ血をひく、同じような気質の者が、同じ絵を見た結果、ではないか。

 しかし、他の精神病患者の(〈開放実験治療場〉での)例もあり、否定はできない。ある、かもしれない。

3. 呉一郎は、なぜ正木博士(父)に倫理を求めたか?

 研究のためなら、他のすべてを犠牲にしてもいいと、若き正木は情熱に身を委ねた。結果として、正木はある家族を(正木の意思に反して)犠牲にすることになった。

 そのような研究に意味があるのかと、一郎は糺した。そのような研究により、多くの生命が、精神病患者が、仮に救われることになったとしても、その罪は永遠に刻印される、彼はそう言いたかった。

 この小説は昭和10年に発表された。しかし、同じ問いは現代にもある。

 医療の進歩は、何をもたらすのか?

 延命に意味はあるのか? 少なくともそれを良い事と思う(願う)心とは、歪なものであろう。それを歪と思わない感性が蔓延っている。

 正木は自殺を選んだ。彼自らが、呉青秀と同じく、一つの物に取り付かれていたように思われる。その囚われ、その在り方は(過去の)誰の心理遺伝の結果であると、正木は考えていたか?

 

 〈胎児の夢〉を通して生まれてきた私たちは、その〈夢〉を見たことで、過去の生命からの影響を被っている。そこに現れては消えていった数多の思いのうち、ある物が、なぜかある心に纏い、この世に現れる。その思いをどうするか?

 その思いに寄り添い続けることが、この世で生きることかもしれないと、私には思われる。

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