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読書

 よく本を読む。

 なぜ読むのかと訊かれることがある。子どもの頃からの習慣だから、なぜと問われると困る。以前も書いたように、言葉に接することの喜び、からだろう。

 一時期、職を辞して、1年半ほど、昼夜を問わず読み続けたことがあった。トルストイ、ドストエフスキー、ヨーゼフ・ロート、カフカ、プルースト、シェイクスピア、ランボー、ボードレール、E.ブロンテ、ディケンズ、etc. その時は、ただひたすら言葉に身を委ね、作者や登場人物の感じ方、考え方にいちいち共感していた。読んだから、どうなった、ということはない。ただ、共感する言葉に巡り合った時は、何か力を得たような気分に領された。

 最近、同じような答えに出合った。少し長くなるが、引用する。

 S.モーム『人間の絆』新潮文庫・下巻.p.35 より

 〈「じゃ、なぜ本など読むんだ?」

  「一つには、楽しみのため、つまり一つの習慣だからさ。煙草と同じことだよ、読まないと気持がわるい。だが、もう一つは、自分を知るためでもある。僕は、本を読む時、ただ自分の眼だけで、読んでいるようだな。だが、時々、いいか、《僕に》とって、ある意味を持ったような一節、いや、おそらくは、ほんの一句だろうね、それにぶっつかる。これは、いわば僕の血肉になるのだ。僕は、書物の中から、僕の役に立つだけのものを、抜き取る。だから、幾度読んだところで、それ以上は、なんにも出て来はしないのだ。ねえ、君、僕にはこんな風に思えるんだが、つまり、人間ってものは、閉じた蕾みたいなもんなんだねえ。読んだり、したりすることで、それがどうなる、というようなことは、全然ない。ただ時に、その人にとって、ある特別な意味をもっているようなものがある。それが、花弁を開かせるのだ。一つずつ、花弁が開いてゆく、そして、ついに花が咲くのだ。」〉

 共感する言葉に巡り合う、ある意味を持ったような一句にぶっつかる、その瞬間のために読んでいるのかもしれない。だが、本当は、紙背から感じられる気配に、接していたいのだと思う。

 その気配とは何か?

 ある種の情念、作者の意思、あるいはそれを超えたもの、律動、である。

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コメント

私も本を読むのが好きですが何故読むのかと問われても「読みたいから読んでいる」だけです。本から学ぶことは多いと思います。でも「読まなきゃ」と思って読むことはないです。

はらっちさん。ありがとうございます。
言葉って不思議ですね。良い言葉に巡り合うと、力が湧いてきますしね。書く側も、自分なりの言葉を、途方もない努力を繰り返して探し、そこに表すのでしょうからね。
「読みたい」と思われるような言葉を、私も書かなきゃなぁと、思います。

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