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他人のお世話になること

 先日触れた、私たちのグループホームの入居者のT.K.さんが、昨日私に耳打ちをされた。

 「私はね、他人のお世話になることが、本当に嫌いなの」

 一瞬、耳を疑った。いつもは「え~?」と惚けてばかりの方が、心の内をはっきりと仰ったのである。

 他人の世話になることの罪悪感(嫌悪感)。スティグマ、とも言うらしい。

 その罪悪感、嫌悪感を感じさせずに、気持ちよく介護サービスを受けていただきたいと、日々努めているのだが、実際にはっきりと「耳打ち」されると、ショックであると同時に、認知症を持つ方の心の奥に触れたようで、私は「感謝」の念を覚えた。

 ご自分のことを「ばかばばやん」と仰る方(この方も先日言及した)も、私に、「私たちがな~んも知らんと思って、何か言いよらす」と、ある職員の言動を指摘された。

 入居者が、不意に(あるいは、絶えず)、自分の無力を直覚する。その時、他人の世話になっている自分を情けなく思う。そのことがどういうことなのか、私たちはもっとはっきりと知らなくてはならない。

 私たちはお世話を「させて貰っている」。私たちは、そのことに感謝する「筈」である。なのに、「してやっている」と思われる言動が見られるということ、これは何か?

 もっと、入居者の心に寄り添うこと。寄り添いながら、寄り添うとは何かを、見出すこと。そういう、日々の努力が必要である。

 97歳のOさんは、今日の夕刻、ベッド移乗をお手伝いした際、いつもよりはっきりした声で「至れり尽くせりで、感謝しています。また明日もお願いします」と仰った。帰宅願望の強い方で、いつも不憫な思いをさせている方が、である。この方の、この言葉も、私には印象深かった。

 「いいえ、こちらこそ。明日もよろしくお願いします」

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コメント

 私もなるべく人のお世話にはならずに往生したいです。
 この願望はどなたでも一緒だと思います。

 しかし図らずもそのような状態になった時の人の奥底は計り知れません。
 
 そう云うお方の気持ちに沿っていくらかでもお力になれる、そんな素晴らしいvase jauneさんの人生に憧れます。

ウーパさん有難うございます。
図らずもそのような状態になった方の心に添うこと、心を汲むこと、掬うこと、自らの心を砕くこと、難しいです。
でも、難しくてもやっていかないといけないですね。
まだまだ暗中模索です。

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