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無時間

 とある勉強をしていた。眠くなったのでうつ伏せになった。夢を見た。目覚めた時、ずいぶん長い夢だったように感じた。時計を見ると6分経過していた。

 夢とは心の出来事である。心とは非物質(形而上)の世界である。ゆえに、時間の長短に関係あるはずはなかったのだと、後で納得した。そして、たとえどんなに長い物語でも、一瞬にして見ることができるのだと、考えるようになった。

 心は無時間に広がっている。

 「何を」一瞬にして見るのか? 物語を。それはほんとうに長い物語か? 無限に長い物語だ。

 それを「不可能」と断じる人は、物質世界にどっぷり浸かっているのかもしれない。

 長距離走をしている。100kmを走る。「どのくらいの時間で?」と訊かれる。時間はどうでもいいのだけれど、と思いつつ、「10時間から13時間くらい」と答えると、「今度欽ちゃんは24時間で挑戦するのに、速いですね」。

 走っていて、ほんとうは時間を気にしたくないのだが、現実に「関門制限」があるので気にせざるを得ない。走るのは楽しいからである。楽しい時、無時間(心)の世界を享受している。

 風を切る、蜻蛉や蝶が寄り添う、川面の魚が一斉に逃げる、雲が、風景が変わる、時に人が笑顔で挨拶してくれる。そして、しばし、そういった一切のこの世的なことも、我をも忘れ、ただひたすら走る、やがて再び木漏れ日の降る道を辿る。そういうことを繰り返している。

 「充実感」「達成感」など、何かのためではない。強いて言えば、無時間に出合うことの喜び、である。

 日常で、あまりに時間に追われているせいかもしれない。

 最近、走っていない時で無時間を生きていると感じられるのは、物語を読んでいる時と、仕事の内外で人の心に寄り添っていると感じられる時だけである。いずれも至福の瞬間である。

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