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死後

 「死とはなんだ? 恐怖はまるでなかった。なぜなら死がなかったからである」(トルストイ『イワン・イリッチの死』より)

 生きているのは宇宙の意思である。私に宿るそれは、私の身体が無くなった後に無くなるとは考えにくい。

 ホームヘルプ先で、亡くなったお父様の49日が、という話をしていた時、鬼ヤンマが台所に入って来たのを見て、奥さんが「おとうさんよ」と仰った、これは素直な感覚だろう。

 死はない、とすれば、当然死後もない。前世、来世というのは、「死はない」という感覚と一致している。つまり、永遠なる生の変転。

 弔うという言葉がある。弔うとは、その人を心から思慕することだと思う。亡くなった人は、その人を思慕する人の心に生きつづける、と同時に、本当は亡くなっていず、何かしらの思いと成って、たしかに在る、そのように感じられる。弔うのは、その思いを掬う、思いを思いの在るべき場所に置いてあげること。

 俗に言われる「背後霊」なるものは、その「思い」のことではないか。「見える」人に本当に見えているかは兎も角。

 「あなたはいま、かばんになりたいと思っていますね。生きているときに、かばんになりたい、かばんになりたいと思っていた鹿は、死んで、かばんになっても、すてきなかばんでいられますよ」(安房直子の童話『ゆめみるトランク』より)

 個に宿る宇宙の意思は、人の思考の形に合わせて存在し、その思考をいつまでも思慕する。「かばんになりたい」という思いは、宇宙の願いである。

 それで、死後どうするとか、葬儀とか、そういうのは私には考えられない。いつ死んでも、今とあまり変わらない。

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