« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

2007年6月

第22回サロマ湖100kmウルトラマラソン完走記・当日編

③ スタート~30km地点

 気温14℃、曇り(絶好の条件!)。「ぼくも含めて、みんなで完走しましょうね~」吉本興業、太平サブローさんの頼もしいエールに皆拍手喝采、そして午前5時スタート。

 午前3時に朝食を食べたせいか、走り始めて10km(53分で通過)までは胃がもたれ、調子はいまひとつ。それでも、昨日歩いた道を落ち着いて走る。10kmを過ぎて少し楽になる。17kmの最初の折り返し付近に民宿があり、ご夫妻の声援を受ける。25km地点には元気の良い青年が、ランナーと次々にハイタッチを交わしていた。私も、大きくハイタッチ、「ガンバレヨー」と青年。こういう応援は本当に嬉しい。27km辺りでは、Yさん母子の応援を受ける。そこから、徐々に調子が出てくる。

④ 30km~74km(緑の館)

 30kmを過ぎた辺りで、「お、パルスグラフを使ってますね♪」と声を掛けられた。私はセイコーのパルスグラフ(ひとさし指で心拍数とピッチを測定)を使って走っている。その人も同じで、それで声を掛けてくれたのである。「いくつで走っていますか?」と聞かれたので、「140前後です」。「LTペースですね、理想的ですね~、私は130からなかなか上がらなくてね~」と、詳しそう。ピッチは? と聞かれるので、ちょうど200です、と答えると、良いですね~。「T先生の運動生理学による心拍トレーニング」を教わりながらしばらく走った。Tシャツの上から「小樽商大山岳会」のランニングを着て走られていたので、北海道の方だと思ったら、福岡在住とのこと。Sさん、陸連登録の黄色いゼッケンを付けておられた。Sさんのおかげで、私は以後「140前後」「200」を守って走り、完走できた。感謝。トレイルの大会にも出ておられ、7月には富士登山レースに出られる予定、その練習の一環としての「サロマ」だそうだ。サブ3も数年前に達成されたらしい、私が先日の3度目のフル(湘南)で3時間24分だったと言うと、「その調子でいけば近いうちにサブ3ですよ! 今度のフルはどこですか」「NAHAが良いと聞いているんですが」「記録を狙うなら青島太平洋ですよ!」などと、いろいろ話に花が咲いた。彼がトイレに行くまで、10km近く併走した。

 1人になり、40km(3時間33分で通過)を過ぎた辺りから、脚が少し重くなってきた。「140」を維持すべく、腕を振り、足を出す。50kmで4時間30分ちょうど。さらにしんどくなる。もう少しで55kmのレストステーション(着替えもできる)、と言い聞かせる。

 そのレストステーション手前で、再びYさん母子の応援を受ける。お母さんの陽気なこと! そして、少し肌寒かったので、長袖シャツに着替えて再スタート、だが着替えたら陽が照ってきた。60kmを5時間38分で通過、さらにしんどくなる。それでも3週間前の阿蘇カルデラの時に比べたらまだマシだと感じた。あの時は67kmで倒れたから。62km辺り、青い麦畑の上空から雲雀の声、探したが見つからない、サロマ湖からは涼しい風が吹く。そうやって走っていると、疲労しているにも拘らず、なんだか幸福に包まれている感じがした。なんて贅沢な時を過ごしているのだろうと。鳥たちの声のせいだろうか、広大な土地のせいだろうか、あたたかな沿道の応援のせいだろうか。よし、絶対歩かない! と決める。阿蘇と同じことは繰り返さない!

 74km地点に「緑の館」と呼ばれる建物があり、そこのエイドでは「おしるこ」が振舞われると言う。「おしるこまであと2km」の看板を過ぎた。「おしるこ、おしるこ」と念じて走った。だが、エイドに付くと、「そうめんをどうぞ!」ついそうめんを食べてしまった。その横に「おしるこ」はあったのだが、そうめんを食べたらおしるこまで食べる気にはなれなかった、残念! そのエイドを過ぎようとしたら、Kさんの奥さんたちに出会った。びっくりされて、「あら~、はや~い。がんばってくださ~い」。Kさんの「予定時刻」より早かったせいだ。

⑤ 74km~ゴール~

 楽しみにしていた80kmからのワッカ原生花園までもう少し、もう少し、と自分を鼓舞して走った。そして80kmを7時間50分で通過。あと20km!

 原生花園に入りしばらくすると、空が曇り、オホーツク海からの風が肌寒く感じられるようになった。Kさんの経験談と同じ展開、長袖で良かった! それまで、ペースが10km67分と落ちてきていたので、意識的に上げる。85km辺りで、「このペースだと10時間ぎりぎりですね~」と声を掛けられる。サロマンブルーのゼッケン「105」番さん、「ぎりぎりですね~」と私。「がんまりましょう」と追い抜いていかれた。折り返し、90kmを8時間53分で通過。ここからスパート、と思ったが、ダメージが大きいのか、67分でいけば良いとの妥協案が生まれたせいか、思うようにペースが上がらない。右大腿四頭筋に痛みが出てきた、風の冷たさのせいかもしれないが、肉離れでもしたらどうしようと、慎重な走りになる。それでも「あと5km」で105番さんを追い抜く。

 折り返してからは、Kさん、Yさんを探しながら走ったが、見つけられなかった。

 原生花園コースを終え、あと2km。ゴールできる! 嬉しさがこみ上げてきた。歩かなかった! 

 走り終え、網走の民宿「ランプ」まで(30km弱)歩いていくつもりだったが、ゴール後に雨が降ってきたので、路線バスで網走へ。車中、陽気な東京の方と話が弾んだ。「また会いましょう」、今回、このフレーズを何度も口にした気がする。

 (記録:9時間53分30秒)

第22回サロマ湖100kmウルトラマラソン完走記・前日編

① 民宿までの行程

 9:40 女満別空港に到着、曇り空の下、JR西女満別駅まで歩く。途中、民家の庭先で花の手入れをしているお婆さんに駅の方角を確認、道を少し間違えたが、30分で辿り着く。青い麦畑が続く、広い! あー北海道なんだなー。西女満別駅は、待合室と僅かなホームがあるだけの無人駅、静かだ。しばらく待って、10:42発、遠軽まで列車の旅。車内は空いている。ゆっくりできた。ウルトラ出場者と思しき旅客も2,3人同乗していた。

 遠軽駅着13:00。路線バスに30分乗り、湧別町役場前で降りてすぐの総合体育館(スタート地点)で受付を済ませる。14:00 民宿に電話を入れると、「迎えに行きましょうか?」でも気が引けたので、歩いていくことにした。13kmの一本道を歩く。途中、道の両側にはオレンジ色のエゾスカシユリ、鮮やかな赤のハマナスが咲いていた。この道は明日の大会のコースでもあり、歩道近くの草はきれいに刈り取られていた。大会関係者の苦労が偲ばれる(ご苦労様です)。カラスがいたので、鳴き真似をしてみた。すると、2羽のカラスがずっと付いてくる。そんなふうに遊びながらも、早足で2時間半かけて歩いた。70歳位のおじさんが庭の手入れをしていたので、声をかけた。「すいませ~ん、この辺りに、みさき三里荘という民宿はありますか?」「もっと先のほうだよ、看板が出てるからわかるよ。あ、明日走るかね」「はい」「頑張れよ~」こういう励ましは嬉しい。歩きすぎた(?)せいか、左頚骨筋が痛い。でも大丈夫だろう!

② 民宿にて

 4人の相部屋だった。そのうちの2人は親子、Yさん。網走の大学に通っている息子さんに、お父さん(57歳)が奥さんを連れて、東京から、大会参加を兼ねて会いに来られた。初参加だそうだ。息子さんと奥さんは明日の大会では応援にまわるとのこと。息子さんは素直そうな好青年、良い家族だなー、こういう参加の仕方もあるんだ!

 もう一人は青森のKさん、62歳。奥さんと、もう一人の女性(たぶん妹さん)が同行しての、やはり大会を利用しての家族旅行。青森から苫小牧までフェリー、そこから自家用車で来られたという。2度目の参加、走歴10年以上のベテランランナーである。妹さん曰く、「この人が元気だから、私たちも旅行できるの」。

 「明日の朝はどうするの?」とKさん、「まだ決めてないんですけれど」と言うと、一緒に車でスタート地点まで送ってくださるとのこと。有難く同乗させてもらうことにした。歩いて行こうかとも思っていたのだが。そのKさんに感謝することがもう一つ。55km地点に預ける荷物の中に、長袖シャツを入れたら良い、というアドバイス。ワッカは寒いかもしれないから、と。この何気ない助言が役に立つことになった。スタート地点についてからは一緒に写真をとってもらった。後日送ってくれるそうで、何から何まで、本当にお世話になった。またいつか会えるかな?

死後

 「死とはなんだ? 恐怖はまるでなかった。なぜなら死がなかったからである」(トルストイ『イワン・イリッチの死』より)

 生きているのは宇宙の意思である。私に宿るそれは、私の身体が無くなった後に無くなるとは考えにくい。

 ホームヘルプ先で、亡くなったお父様の49日が、という話をしていた時、鬼ヤンマが台所に入って来たのを見て、奥さんが「おとうさんよ」と仰った、これは素直な感覚だろう。

 死はない、とすれば、当然死後もない。前世、来世というのは、「死はない」という感覚と一致している。つまり、永遠なる生の変転。

 弔うという言葉がある。弔うとは、その人を心から思慕することだと思う。亡くなった人は、その人を思慕する人の心に生きつづける、と同時に、本当は亡くなっていず、何かしらの思いと成って、たしかに在る、そのように感じられる。弔うのは、その思いを掬う、思いを思いの在るべき場所に置いてあげること。

 俗に言われる「背後霊」なるものは、その「思い」のことではないか。「見える」人に本当に見えているかは兎も角。

 「あなたはいま、かばんになりたいと思っていますね。生きているときに、かばんになりたい、かばんになりたいと思っていた鹿は、死んで、かばんになっても、すてきなかばんでいられますよ」(安房直子の童話『ゆめみるトランク』より)

 個に宿る宇宙の意思は、人の思考の形に合わせて存在し、その思考をいつまでも思慕する。「かばんになりたい」という思いは、宇宙の願いである。

 それで、死後どうするとか、葬儀とか、そういうのは私には考えられない。いつ死んでも、今とあまり変わらない。

性格

 職場の人が、○型の人は○○よね、と言っていたので、「そういうの信じているんですか?」と聞いたら、「絶対に当たってますよ~」

 「信じていない」派は私だけだと判明した。

 「交流分析」(エゴグラム)、というのを看護短期大学部でやったことがある。結果(A優位)を見て、当たっているのかな~、よくわからなかった。

 「ユングの性格分析」をホームヘルパー1級の学校でやったこともある。ほとんどの設問に迷って答えた結果、「直観・思考タイプ」、そうなのか~。心理の先生曰く「福祉関係でこのタイプの人は珍しい」。

 なぜ性格分析というものがあるのだろう?

 人間関係を円滑にするため? あの人は○型だからね、ということにしておけば丸く収まるから。

 (対人関係を仕事にする以上)自分を(客観的に)知ることが必要です、とも言われた気がする。

 こまった、こまった。

 モンテーニュの言うように、「各人はすべての性格を合わせ持っている」というのが真実ではなかろうか。それを、血液型、交流分析、ユングの性格分析、といった特定の分析方法によって、あえて型に当て嵌める必要はあるのか?

 仮に私がA優位(論理性を重んじるタイプ)だとして、だから意識的に人の情感に敏感になるよう努めたとして、だからどうなのだ? 私は私の感性を大切にしている、それでよいのではないか。意識せずとも知っている自己の傾向を分析して、そこから自己の向上を図るというのは、手続きを煩雑にしているだけではないか。

 何か(知識)を経由して考える(生きる)のではなく、人はもっと直截に生きたらよいのではないか、と改めて思う、今日である。

呆けたい

 「年をとって、あなたは呆けたいですか? それとも呆けたくないですか?」というアンケートは聞いたことがない。問いとして成立しないのか?

 「呆けないために」というフレーズはよく聞く。呆けることはよくない、というのは暗黙の了解なのだろうか?

 さて、実際に認知症の方々のお世話をしていると、呆けるのも悪くない、と感じられることが多い。以前にもかいたが、皆笑顔が素敵なのだ。所謂屈託がない。

 Sさん、90歳女性。一言で言えば美しい人。いつも目元がにこやか、涼しげで、上品。介護者が手を差し伸べると、その手をご自分の頬に寄せ、ニコッとされる。トイレに誘導すると、「ありがとう」お辞儀をされる。高校で英語を教えられていたとか、愛情表現が豊かなのも頷ける。あんなおばあちゃんになりたいね、と皆異口同音に言う。

 心身の苦痛、不安、寂しさ、は誰もが感じておられるのだろうが、笑顔が素敵なのはなぜか?

 ただ、殆どの方が帰宅願望を口にされるのには困ってしまう。ご自分の置かれている状況を認識されていない、どこかに招かれていると思っておられるのだろう。

 「では帰ります」「今日は本当にお世話になりました」

 いいえ、ずっと居ていいんですよ!

無私の愉悦

 私とは何か? それは何ものでもない。

 「何ものでもないものの薔薇」という詩を書いていたのはパウル・ツェランだったか。

 詩人は「他性」を求めている、と言ったのはバーナード・ショウ。

 無私とは、理想ではなく、事実である。

 宗教とは、祈るとは、無私になることであると言ったのは、ボンヘッファーというドイツのキリスト者である。

 ……似たようなことは多くの人が言っている。

 〈我々の真の自己は宇宙の本体である、真の自己を知れば只に人類一般の善と合するばかりでなく、宇宙の本体と融合し神意と冥合するのである。宗教も道徳も実にここに尽きて居る。而して真の自己を知り神と合する方法は、ただ主客合一の力を自得するにあるのみである。而してこの力を得るのは我々のこの偽我を殺し尽くして一たびこの世の欲より死して後蘇るのである(マホメットがいったように天国は剣の影にある)。此の如くにして始めて真に主客合一の境に至ることができる。基督教ではこれを再生といい仏教では見性という〉(西田幾多郎『善の研究』より)

 無私は心地よい。それが本来の心の在り方だからだろう。「無時間」を享受する感覚もここに近接している。

 西田氏の言う「主客合一」とは、「宇宙(万物)が私を通して思考する」(ボードレール)という発想と同じである。私が感じているのではなく、宇宙が感じている。『カラマーゾフの兄弟』のミーチャなら、「ああ、心はなんて広いんだろう!」と嘆息する。その境地こそ、生が生を生きていると感じる場所である。

 その場所を中心点として、周囲を、人は巡り、懊悩し、あるいは月が雲に隠れるさまを見て遥かなる生滅に想いを寄せる。

 無限に広がるそこここの枝に、歓喜は芽生える。

無時間

 とある勉強をしていた。眠くなったのでうつ伏せになった。夢を見た。目覚めた時、ずいぶん長い夢だったように感じた。時計を見ると6分経過していた。

 夢とは心の出来事である。心とは非物質(形而上)の世界である。ゆえに、時間の長短に関係あるはずはなかったのだと、後で納得した。そして、たとえどんなに長い物語でも、一瞬にして見ることができるのだと、考えるようになった。

 心は無時間に広がっている。

 「何を」一瞬にして見るのか? 物語を。それはほんとうに長い物語か? 無限に長い物語だ。

 それを「不可能」と断じる人は、物質世界にどっぷり浸かっているのかもしれない。

 長距離走をしている。100kmを走る。「どのくらいの時間で?」と訊かれる。時間はどうでもいいのだけれど、と思いつつ、「10時間から13時間くらい」と答えると、「今度欽ちゃんは24時間で挑戦するのに、速いですね」。

 走っていて、ほんとうは時間を気にしたくないのだが、現実に「関門制限」があるので気にせざるを得ない。走るのは楽しいからである。楽しい時、無時間(心)の世界を享受している。

 風を切る、蜻蛉や蝶が寄り添う、川面の魚が一斉に逃げる、雲が、風景が変わる、時に人が笑顔で挨拶してくれる。そして、しばし、そういった一切のこの世的なことも、我をも忘れ、ただひたすら走る、やがて再び木漏れ日の降る道を辿る。そういうことを繰り返している。

 「充実感」「達成感」など、何かのためではない。強いて言えば、無時間に出合うことの喜び、である。

 日常で、あまりに時間に追われているせいかもしれない。

 最近、走っていない時で無時間を生きていると感じられるのは、物語を読んでいる時と、仕事の内外で人の心に寄り添っていると感じられる時だけである。いずれも至福の瞬間である。

家族の面会

 認知症高齢者グループホームをはじめてもうすぐ2ヶ月になるが、毎日の様に家族の面会がある。

 グループホームの定員は9名で、現在私たちのところには8名の方が入居されている(男性2名、女性6名)。平均すると、1人の入居者には、1週間に1度の面会がある。その多くは娘さん、お嫁さん(息子さんの)である。皆さん優しい方ばかりで、面会されると入居者の方々は喜ばれ、こちらも有難く思っている。

 その家族の方の中には、介護職、看護師も数名居られ、心強い。入居者の中には、他の方の家族をスタッフと間違われ、頼み事をされたり、それに対し家族の方が笑顔で応えられたりして、私たちが恐縮することもある。家族の方が他の入居者に興味を持たれ、「あの方は最近笑顔が増えましたね」「もう退院されたんですね」等と言われると、こちらも嬉しい。そういったコミュニケーションが増えるのは大歓迎である。

 それに対し、まだ実現していないのが、地域からの訪問、ボランティアの受け入れである。これらが実現すると、活気が出てくるのだろうけれど。

 入居者の皆さんは、まだ帰宅願望が強い。グループホームを自分の住まいと認識されていない。認識して頂くためにも、様々な立場の方が訪問され、楽しい「生活の場」にしていけたら、と願っている。

Life is ……

 介護専門職の総合情報誌「おはよう21」を定期購読している。

 その雑誌の2~3頁の見開きに、いつも葉祥明さんの絵と詩が載っている。題名は 《Life is ……》 今回は今年5月号のそれを紹介。

 

 〈どんな人にも

 他の人には言えないことがある

 どんな人にも

 自分では気づかぬ面がある

 だから 人は

 互いに認め合い 許し合い

 思いやる必要があるのです〉

 

 他人の心の奥底に触れる必要はないだろう、と思う。

 そこには、その人しか知りえない想いが満ちていて、その人も知らない深淵が開けていて、だからこそ、人は未知との対話を繰り返す。他人がそこに入って来ようとしても、そこでの対話は、その人と宇宙とのキリ果てのない、微細な迷路に似た、あるいは無数の変幻なるざわめきのようなものゆえに、入り込む余地が初めから閉ざされている。他人は、見守り、寄り添うことしかできない。

 私は、私の心は万人に開かれている、と思ってはいるが、容易には理解され得ない。

 理解される必要もない、宇宙の営みが在る。

 絶句し、ただ虚空と向き合うのみ。

 〈せきをしてもひとり〉 とは誰の句だったか?

他人のお世話になること

 先日触れた、私たちのグループホームの入居者のT.K.さんが、昨日私に耳打ちをされた。

 「私はね、他人のお世話になることが、本当に嫌いなの」

 一瞬、耳を疑った。いつもは「え~?」と惚けてばかりの方が、心の内をはっきりと仰ったのである。

 他人の世話になることの罪悪感(嫌悪感)。スティグマ、とも言うらしい。

 その罪悪感、嫌悪感を感じさせずに、気持ちよく介護サービスを受けていただきたいと、日々努めているのだが、実際にはっきりと「耳打ち」されると、ショックであると同時に、認知症を持つ方の心の奥に触れたようで、私は「感謝」の念を覚えた。

 ご自分のことを「ばかばばやん」と仰る方(この方も先日言及した)も、私に、「私たちがな~んも知らんと思って、何か言いよらす」と、ある職員の言動を指摘された。

 入居者が、不意に(あるいは、絶えず)、自分の無力を直覚する。その時、他人の世話になっている自分を情けなく思う。そのことがどういうことなのか、私たちはもっとはっきりと知らなくてはならない。

 私たちはお世話を「させて貰っている」。私たちは、そのことに感謝する「筈」である。なのに、「してやっている」と思われる言動が見られるということ、これは何か?

 もっと、入居者の心に寄り添うこと。寄り添いながら、寄り添うとは何かを、見出すこと。そういう、日々の努力が必要である。

 97歳のOさんは、今日の夕刻、ベッド移乗をお手伝いした際、いつもよりはっきりした声で「至れり尽くせりで、感謝しています。また明日もお願いします」と仰った。帰宅願望の強い方で、いつも不憫な思いをさせている方が、である。この方の、この言葉も、私には印象深かった。

 「いいえ、こちらこそ。明日もよろしくお願いします」

第18回阿蘇カルデラスーパーマラソン

 今日6月2日、第18回阿蘇カルデラスーパーマラソン100kmの部に参加してきた。

①スタート~15km地点

 最近疲労が溜まっていた。5月31日から6月1日は夜勤で、一睡もできず。どうなることかと思っていたが、案の定、疲労感が残っていた。スタートしてから脚が重い。それでも10km通過は53分台、予定より速いが、攻めてみる。15km地点から、走力のあるランナーと併走する。

②15km地点~45km地点

 そのランナーは59歳との事、フルのベストは3時間15分、私より速い。ウルトラも、毎年走って来られ、北九州の走遊会の会長さんらしい、盛んに声援を受けておられた。話をしていると、疲れを感じることなく走れたが(最大の難関の21km~25kmの高森峠の急坂も一緒に走ったせいか、快適に走れた)、45km地点で4時間20分、私にしては速すぎたかもしれない。エイドでスタッフとおしゃべりをされている間に、単独走になる。

③45km地点~65km地点

 裸足のランナーと併走、もしくは近くを走り続ける。この方も有名人で、50.8kmのレストステーションでは何かの取材を受けておられた。スタスタと素足の音が今も耳に残っている。60km辺りから私は身体全体、とくに胸が苦しくなり、脚も進まず、先に行ってもらう。お話はしていないが、最後に「頑張りましょう」と言ってくれた、その控えめな言い方が、その方の人となりを表しているように感じた。

④65km地点~90km地点

 67km辺りで、いつもの脳貧血。ふらふらして、歩くこともできないので、道を逸れ(道端だと他のランナーが心配すると思い)、20分ほど横になる。歩けるようにはなったが、相変わらず脚が重く、しばらく歩き続ける。60km~70km地点までに90分かかった。その後も、ふらふら、ゆっくりジョグで、次々とランナーから追い越される。このままでは完走できないかもしれないと思ったが、一か八か、90km地点からスパートをかけることにする。この方法は、3月の湘南国際マラソン(フル)の残り5km、4月の大阪城さくらマラソン(フル)の残り14km、萩往還(135km)の残り6kmで、実感している余力以上の走りができることを経験したことに基づいている。

⑤90km~100km(ゴール)

 90km地点(10時間ちょうどで通過)は阿蘇外輪山からの下りの中間点で、下りを利用して加速する。ストライドを伸ばし、50kmの部のランナーを次々と追い越す。92km地点からゴールまでは平坦で、下りのスピードを保つことに専念する。予想通り、調子が出てくる。いつもの練習で、後半速度を上げてからは失速しないビルドアップの方法をとっているが、それが生きていると感じる。ゴールが近づくにつれ、益々調子が出てくる。最後はいつものように全力走で締める。

 それにしても、それだけ余力があるのなら、なぜ途中で苦しくなるのか、脚が動かなくなるのか、倒れるのか、不思議である。長距離走にまだ慣れていないのだろう。あるいは、走りながら思ったが、長距離走そのものの単調さに、私の気持ちが「飽きてしまう」、つまり精神力の問題かもしれない。今後のフルマラソン、ウルトラマラソンでの課題である。

 (記録:10時間50分03秒)

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »