« 97歳 | トップページ | 阪神ファン »

考えているのは

 物事を考える時、考えているのは誰か?

 むろんこの私、ではなく、私に宿る何かが考えている。「宿る何か」とは?

 宇宙(無限)そのもの、である。宇宙に意思があるかを、私は知らない。だが、感応し合い、生まれては消える物たちの姿は、それ自体が「考え」であると感じられる。

 人がそれに感応したがるのも、そこに思考があるからではないか?

 頭で考えると、人は言う。だが、心で考える時、思いは無際限の広がりを持つ。

 心を寄せる。心で抱きしめる。その時、心はすでに個人を超えて、対象に溶け入っている。

 心とは宇宙の別名ではないか?

 心を開き、心で祈り、時に他者に翻弄され、それでも彼方の、あるいはいまここにあるものを信じて、生きる(考える)。

 心は、宇宙の隅々に浸透している。そして細部に宿り、またさまざまなる思いを生む。

 これらの過程に、何かしらのギャップはあるだろうか?

 〈一粒の麦が地に落ち、死ななければそのままだが、死ねば多くの実を結ぶだろう〉という聖書の一説は、心の在り様を示している。移ろい、幾たびも死に、千変万化を繰り返す。

« 97歳 | トップページ | 阪神ファン »

思考」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/391404/6158208

この記事へのトラックバック一覧です: 考えているのは:

« 97歳 | トップページ | 阪神ファン »