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死は怖い?

 死が怖いという発想を、私は理解できない。多くの人はそう思っているらしい…。らしいというのは、やはりそういう発想があるのだと理解し得ないからである。

 理解し得ないのは、死を理解できないからだろう。私もいつか死ぬだろう。だからどうなのだ? というのが率直な感覚である。永遠の生、という考えならわからなくもない。

 生きているのは誰か? 前にも書いたが、生きている(考えている)のはこの私ではない。私を通して自身を実現しようとしている何かが生きている。

 私が死ぬことで、その「何か」も死ぬとは考えにくい。それは永遠にあり続けるだろう、たとえこの物質宇宙がなくなったとしても。

 〈また見つけたよ、何を? 永遠を。それは太陽と溶け合った海〉A.ランボー

. 見つけられた永遠は、彼において永遠にあり続ける。

 〈すると、とつぜん、はっきりわかった――今まで彼を悩まして、彼の体から出ていこうとしなかったものが、一時にすっかり出ていくのであった。……死とはなんだ? 恐怖はまるでなかった。なぜなら死がなかったからである〉トルストイ『イワン・イリッチの死』より

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思考」カテゴリの記事

コメント

 唯物論支持者の呑好児です^^;
 
 ヒト(ヒトに限らずあらゆる動植物)は単なる遺伝子(DNA)のキャビネット(入れ物)であるような気がしてなりません。
 行動することまた考えること(死の観念を考えるのも)は遺伝子によって作られた神経細胞のネットワークを走り回る電子の刺激によって行われるもので、ヒトは神に作られたものではないという進化論を支持する限り、バクテリアからヒトまで根本のところは変わらないはずです。

 ところで自分が死んだら次に「何が」この宇宙を観測するのでしょう。
 今の宇宙はあくまで呑好児が学び識った宇宙です。その呑好児が死んだら・・・
 私も死を特に惧れはしませんが、宇宙の観測人が死ぬのは勿体無いような気がします。

 vase jauneさんはそこのところを考える源=宇宙と言う形でクリアーされておられるのですね。
 

よく勉強しておられるんですね(私はものぐさです)。私は唯物論を支持していません(^^)
考える源=宇宙であると、確かに考えています。宇宙が自身を、生命その他の物を通して感じ取っていると、感じています。
そして、遺伝子を包摂する宇宙の意思は、遺伝子を超えていると考えます(遺伝子は生命を多様に複製する一つの方途に過ぎない)。
更に言えば、物質に依存しない(規定されない)で考えることこそを、実は宇宙は志向しているのではないか、と考えます。妄言、ですかね。

 ビッグバンも宇宙(心)の意思から・・・

 楽しい議論(^^♪
 これからもよろしくお願いします(*^。^*)

無から有、というのは考えにくいですね。宇宙の始まり(ビッグバン)というのは、「この物質宇宙」に限定されたお話ですね。
ビッグバン以前の、無限宇宙の意思、が問題です。

遺伝子操作によって作り出した子供の話を本で読みました。
夫婦が求める究極の才児の誕生でした。

でもその生まれてきた子はある時やっぱり気づいてしまいました。
二人の兄弟でしたが、一人は死を選びました。
もぅ一人は生きることを選びました。

心とはとても弱くて儚いものなのだな~・・
それが感想でした(^^)


sumisumiさんありがとうございます。
心の無限に気づくと、自らの生の意味に目覚めると思うのですが。
本当は無限なんだよ、という叙事詩を書いてみたい、とも思います。

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