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してあげるのではなく

 介護とは何か、ということをよく考える。

 その人に何かをしてあげる、と考えると窮屈になる。しかし、よく考えればあたりまえのことだが、実際は「してあげている」のではなく、むしろその人から何かを「受けとっている」。

 先日の97歳の方にしても、彼に何かをしてあげているのではない(に違いない)。彼との関わりにおいて、私は彼から生命力の強さ、意志の強固さの様な物を感じとっている。

 他の例を挙げる。

 「私はこうなってしまって、皆さんにご迷惑ばかりかけて、本当に死んでしまいたい」と言われたことが何度もある。いえ、違うんですよ。私はあなたのお世話をさせていただくことによって、あなたという人を少しばかりですが知ることができました。そのことが「貴い」のです。少なくとも私にとって、良いことなんです! というような返事をした。事実そうであるから。

 自閉症児の相手をしていて、「目標」の一つとして、介護者がその子を「理解すること」を挙げたことがある。周囲が理解することが、即ちその子の成長ではないか、と感じられたからである。更に、そこに交流が芽生えるのなら、これから生きていく子にとって、何より糧になるのではないか。何かをしてあげるのではなく、受け止め、理解すること。

 これは介護にかぎらない。あらゆる人間関係に当てはまる。

 介護においては、それが端的にあらわれる。そういう意味で、今の仕事をさせてもらっていることに感謝している。

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介助」カテゴリの記事

コメント

 >今の仕事をさせてもらっていることに感謝している。

 本当に(^^♪ 私も同じ気持ちです。
 
 現在(いま)の私は
 「過去の多くの人々と自然の恵みの結果である。」
 凄く生意気な考えですが(^^♪
 

本当に。過去からの数多の物の、人の思いを背負って、生きています。

私の年柄でしょうか、自閉症児や、その母親とよく接する機会が多いのですが、色々な親がいますね。


vase jauneさんの想う所に居る親は何人くらいいるのかな・・・と考えさせられます(^^;)

でも、その子の時点でのできることを理解するって大変だろうなと思います(><)
それができた時、親も子供も成長するんだろうな~

sumisumiさんありがとうございます。
親は大変ですね。理解することも、大変ですね。本当に理解したいと思う人がまわりに居れば、親も少しは救われるのでは、と思ったりします。理解できなくても、ただ寄り添うこと、大切ですね。

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